mixiユーザー(id:21258650)

2020年02月26日01:37

251 view

週プロ流智美あの日あの時予想2019年総括(47)

11月27日発売号は選手名鑑号の為休載。準備していた予想は東京プロレス旗揚げ戦の遺恨カード、猪木vsジョニー・バレンタイン、日本プロレスで実現。(70年日本プロレス横浜文化体育館)【参考】2013年11月27日発売号は2代目タイガーマスクvsダイナマイト・キッド。(85年全日本プロレス札幌中島体育センター)

第113戦 12月4日発売号●【予想】新日本プロレスでも外国人大物対決解禁!ボブ・バックランドvsタイガー・ジェット・シン(79年新日本プロレス大阪府立体育会館)【正解】グレート草津、国際プロレスのエース候補として凱旋帰国。(67年国際プロレス東京国際空港)【参考】2013年12月4日発売号はUN選手権試合、猪木vsディック・マードック。(71年日本プロレス仙台・宮城県スポーツセンター)

【解説】2019年は選手名鑑号の発売が11月第3週から第4週に変更、よって11月27日は休載。最後の1か月となりました。

WWWF(WWF)との提携路線が強化された78年から翌79年に入ると、新日本プロレスは大物外国人を招聘しファンを喜ばせています。

4月27日、横浜文化体育館で開幕の「第2回MSGシリーズ」には元NWA世界ヘビー級王者ジャック・ブリスコが前半戦に特別参加。前78年の「プレ日本選手権」で新日本プロレスに初参戦したヒロ・マツダが役員を務めるフロリダのCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロリダ)とパイプが出来、ブリスコ招聘に繋がりました。

ブリスコは公式戦には参加しませんでしたが、アンドレ・ザ・ジャイアントvsスタン・ハンセンの決勝リーグ戦が5月18日、新潟市体育館で行われ4分24秒、両者リングアウトとなっていますがハンセンはアンドレと初めて互角に渡り合える外国人選手となっていました。

さらに年度最終シリーズとなった「闘魂シリーズ」(10月26日後楽園ホール〜12月6日蔵前国技館)では前半戦に前NWA世界ヘビー級王者ダスティ・ローデス、WWF北米ヘビー級王者パット・パターソン、中盤にはタイガー・ジェット・シン、ジョニー・パワーズ、終盤にはWWFヘビー級王者ボブ・バックランドが特別参加。

シリーズ全戦参加がペドロ・モラレス、グレッグ・バレンタイン、ニコリ・ボルコフとこれまでのエース格だった外国人選手を時間差はあるものの同じシリーズに一度に呼んで見せました。

新日本プロレスは猪木のワンマンエース団体であり、外国人選手同士の対戦は「ワールド・リーグ戦」、「MSGシリーズ」以外ではまず組まれることがなく、興行の売りではありませんでした。

12月4日、大阪府立体育会館ではバックランドvsシンのスペシャルマッチが組まれています。11月30日、徳島市立体育館でバックランドは猪木に28分16秒、バックドロップからの体固めで敗れWWFヘビー級王者ではありませんでしたが、リング下にシンが姿を現しており、直接的なコンタクトはなかったものの遺恨はありました。

試合は8分4秒、バックランドの反則勝ちとなりましたが互いの個性がよく出ていた試合だったと思います。大物外国人同士のスペシャルマッチが「解禁」となった新日本プロレスは翌80年からはアンドレ、バックランド、ハンセン、シン、ハルク・ホーガンらによるシングル、タッグのスペシャルマッチが多数実現し、ファンは全日本プロレスに匹敵する豪華外国人夢の競演を堪能することが出来るようになりました。

2019年に大きな話題になったラグビーワールドカップ。本連載でも世界で通用するラガーマンからプロレスに転向したか阿修羅・原について採り上げていますが、その前にラグビーからの転向組で世界のラガーマン、草津正武(グレート草津)のプロレス転向がありました。

草津は熊本工業高校、八幡製鉄とラグビーで活躍、日本選抜メンバーとして国際試合に出ていますが65年に杉山恒治(サンダー)と共に日本プロレス入り。杉山も64年東京五輪アマレスグレコローマンスタイルの日本代表であり、日本プロレスの幹部は「大金を積んでスカウトしてもいい新人が向こうから来てくれた」と大喜びしました。

草津、杉山は日本プロレスでデビューしていますが翌66年、独立を考えていた取締役営業部長の吉原功に声をかけられて、吉原が日本プロレスを退職して設立した国際プロレスに移籍。

草津は67年にアメリカに武者修行に出発、タキ・ヤマグチ、ビッグ・クーのリングネームで活躍。フロリダ地区では日系人のデューク・ケオムカのパートナーを務めて強豪選手と対戦しています。

そして68年1月3日、日大講堂でのTBS路線スタートに合わせ「エース候補」として堂々の凱旋帰国を果たしました。

当時のTwitterにつぶやきましたが、果たして草津の凱旋帰国そのものにどの位の歴史的価値があるかは私は甚だ疑問であります。

この12月4日はざっと思いつくだけでも、力道山、生前最後のインターナショナル王座防衛戦vsザ・デストロイヤー。(63年日本プロレス大阪府立体育会館)、豊登、デストロイヤーを破りWWA世界ヘビー級王座獲得。(64年日本プロレス東京体育館)、大木金太郎、ボボ・ブラジル破りインターナショナル王座獲得。(72年日本プロレス広島県立体育館)、ビル・ロビンソン新日本プロレス初登場第1戦、猪木&坂口組vsイワン・コロフ&グレッグ・バレンタイン北米タッグ選手権試合。(75年新日本プロレス大阪府立体育会館)、ラッシャー木村、ピエール(フレンチ)・マーチン破りIWA世界ヘビー級王座防衛。(75年国際プロレス後楽園ホール)、

ロビンソンvsアブドーラ・ザ・ブッチャータッグ初対決、ロビンソン&レオ・バーク組vsブッチャー&スティーブ・ストロング組(76年全日本プロレス下関市体育館)、ジャパンプロレス旗揚げ興行(84年ジャパンプロレス高松市民文化センター)など沢山あり、また調べれば全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦、新日本プロレスのMSGタッグ・リーグ戦、それ以降のタッグ・リーグ戦の中から面白い試合を発掘出来ると思われます。

殿堂入りライターなら、私のような一ヨカタではなく読者と真剣勝負をして頂きたいとこの時呟いてしまいました。まさに田村潔司の心境…

※対戦成績は113戦23勝90敗。
0 5

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年02月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829

最近の日記