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2020年02月23日23:20

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週プロ流智美あの日あの時予想2019年総括(45)

第111戦 11月13日発売号●【予想】ラッシャー木村、バーン・ガニアにリングアウト負けでIWA世界ヘビー級王座転落。(79年国際プロレス三条市厚生年金体育館)【正解】猪木、ランバージャック・デスマッチでザ・シークが試合放棄。(74年新日本プロレス沖縄・那覇市奥武山体育館)【参考】2013年11月13日発売号は天龍、テッド・デビアスと海外デビュー戦。(76年テキサス州ヘレフォード・スポーツオーデトリアム)

【解説】流さん著「東京12チャンネル時代の国際プロレス」の中で79年当時、視聴率が健闘しているからと東京12チャンネルから「特別強化費」として800万円の予算が出て12チャンネルチーフ・ディレクターである田中元和(たなか げんな)氏から「大事に使いましょう」と言われていたにも関わらず、バーン・ガニアを呼んで予算を使い切ってしまったというエピソードがありますが、

この時の79年11月のガニア招聘がこれ該当します。ガニアがオーナーを務めるAWAと国際プロレスは69年8月、国際プロレスがNWA総会で加盟申請をしましたが日本プロレスの妨害工作に遭い反対多数で却下されており、吉原社長は当時中継していたTBS運動部のプロデューサーと共にミネソタ州ミネアポリスのガニアのオフィスを訪ね、外国人選手のブッキング契約をしています。

国際プロレスはこれまでのヨーロッパ路線からAWA路線にシフトし多くのトップ外国人レスラーを招聘、ガニア自身も70年2月、73年9月、74年11月に国際プロレスに参戦しています。

しかし74年2月に起きたストロング小林の離脱、同年3月一杯でのTBSの放送打ち切りもあり、9月からは12チャンネルが放送開始したものの、全国ネットのTBSと関東ローカルの12チャンネルでは放映権料に差があり、ガニアに支払うブッキング料が大きな負担になっていたことと、前年3月、凱旋帰国が予定されていながら交通事故による右足切断でレスラー生活を断念せざるを得なくなった大剛鉄之介が遠征先のカナダ・カルガリーでブッカーの仕事を始めたこともあり吉原社長は75年1月には外国人ブッキングルートをガニアから大剛に鞍替えする決断をしました。

そんな中79年10月の「ダイナマイト・シリーズ」終盤戦にAWA世界ヘビー級王者ニック・ボックウィンクルを単発で招聘した国際プロレスは10月5日、後楽園ホールでの「世界三大タイトルマッチ」でニックvsラッシャー木村のAWA世界ヘビー級、IWA世界ヘビー級のダブルタイトルマッチを開催。16分30秒、R木村が反則勝ちを収めていますがベルト移動はなし。

次期「デビリッシュ・ファイト・シリーズ」中盤戦にガニアを特別参加として招聘。ガニアは実力はルー・テーズに匹敵するものがあり、カール・ゴッチよりもアメリカでは成功していますが、日本では来日が国際プロレスであり、(76年3月に全日本プロレスに来日)全盛期に日本プロレスに来日していなかったことで地方での知名度と集客力は弱く、この時のガニアの参戦スケジュールは11月12日新潟・小出郷体育館、13日新潟・三条市厚生年金体育館、14日長野・諏訪湖スポーツセンター、15日岐阜・飛騨高山体育館、16日和歌山県立体育館と国際プロレスが浸透していない地域ばかりでの興行だった為、ガニアを投入してもしなくてもさほど影響はない場所ばかりでした。

11月13日、三条ではガニアはR木村のIWA世界ヘビー級王座に挑戦。場外でスリーパーホールドを仕掛け、素早くリングに上がって17分41秒、リングアウト勝ちで王座を獲得しています。

王者となったガニアは16日和歌山でR木村のリターンマッチを受けましたが、またも場外でスリーパーを仕掛けにいったところR木村に外され、13分53秒、リングアウト負けでベルトを手放して帰国しています。ガニアは国際プロレスには最後の来日となりました。

「アラビアの怪人」ザ・シークは74年11月の「闘魂シリーズ第2弾」に1度だけ新日本プロレスに来ています。シークは中盤戦2週間の予定で来日、新日本プロレス初戦となった11月8日、後楽園ホールではデトロイト時代の因縁を持つ坂口と対戦し4分49秒に反則負け。

注目の猪木との初対決は11月12日、沖縄・那覇市奥武山体育館(テレビ収録)でノンタイトル60分1本勝負で対戦、シークの凶器を奪い取った猪木がシークを攻撃、静止に入ったレフェリーも突き飛ばして12分58秒、反則負け。

怒りの収まらない猪木は翌13日、同じ奥武山体育館(ノーテレビ)で「シークに場外に逃げられないよう」にと双方のセコンドがリング下を囲むランバージャック・デスマッチ(時間無制限1本勝負)で再戦を要求し実現に至ったものです。

試合は猪木がゴング前に遅いかかる奇襲攻撃。猪木が怒りの鉄拳制裁で優勢に試合を進めましたが、シークは予め外国人側セコンドと打ち合わせ済だったか、外国人側のリング下からいきなり控室に逃走。6分23秒、試合放棄。猪木は不完全燃焼の勝利となりました。

シークは翌14日、後楽園ホールでの坂口戦を両者リングアウトで終えると2週間の予定を残りの1週間をキャンセルして途中帰国。理由は自分がプロモーターをしているミシガン州デトロイトでシークの子飼いの選手であるキラー・ブルックス、ルイス・マルチネスらがシークが日本遠征をしている隙に新しいプロモーションを設立し旗揚げ興行を行ったからでした。

ブルックスは11月7日まで全日本プロレスの「ジャイアント・シリーズ第2弾」に参加の為来日しておりシークとは団体は違えど入れ替わり。シークは完全に意表を突かれた感じです。

新日本プロレスはシークを契約違反で訴え、国際裁判に発展、シークは2度と新日本プロレスのリングに上がることはありませんでした。

この回は私の第1候補がこの猪木vsシークのランバージャック・デスマッチで第2候補がR木村vsガニアでした。なぜ入れ替えたかと言うと翌週の11月20日発売号、例年11月の第3週は選手名鑑号の為に「あの日あの時」は休載になるからです。

11月20日発売号では1巡目には休載で書いていないガニアの国際プロレス絡みの鉄板ネタがあっただけに流さんの「国際好き」を考慮してあえてR木村vsガニアに入れ替えをした訳ですが、実際に11月13日発売号を買って、翌週発売号の告知を見たところ、11月20日発売号は選手名鑑号ではなかったのでした。

※対戦成績は111戦22勝89敗。
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