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2020年02月15日23:20

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週プロ流智美あの日あの時予想2019年総括(37)

第103戦 9月18日発売号●【予想】猪木vsスタン・ハンセン、最後のシングルマッチ。(81年新日本プロレス広島県立体育館)【正解】左膝蜂窩織炎から猪木が復帰戦、力道山ばりの黒のロングタイツで登場。vsジャック・ルージョー。(75年9月19日新日本プロレス千葉公園体育館)【参考】2013年9月18日発売号は正規軍vs維新軍最終決戦、猪木&藤波&木村健吾組vs長州&アニマル浜口&谷津嘉章。(84年新日本プロレス江南市民体育会館)

【解説】81年と言えば、5月のアブドーラ・ザ・ブッチャー新日本プロレス移籍に端を発した新日本と全日本プロレスによる選手引き抜き抗争が勃発した年として知られていますが、新日本プロレスの「強さの象徴」であったスタン・ハンセンが12月13日、全日本プロレスの蔵前国技館大会に登場。ハンセンを抜かれた新日本プロレスが完敗を喫しています。

ハンセンは77年1月に新日本プロレスに初参戦、78年は来日がありませんでしたが、79年の第2回MSGシリーズあたりから「怪物化」。「ブレーキの壊れたダンプカー」と言われた猪突猛進の迫力満点のブルファイトは新時代のプロレスと呼ばれ「肉体が凶器」のハンセンはヒールながら新日本プロレスのリングでヒーローとして人気を集めました。

80年2月8日、東京体育館でエプロンの猪木にラリアットを放ち17分12秒、リングアウト勝ちでNWFヘビー級王座を獲得。(4月3日蔵前国技館で猪木のリターンマッチに敗れ転落)。80、81年の第3回、第4回のMSGシリーズでは猪木と優勝決定戦を争い、反則負けとリングアウト負けで準優勝。簡単にはフォール出来ない怪物としてタイガー・ジェット・シンに代わる新日本プロレスのエース外国人の座を射止めました。

ブッチャー、タイガー戸口を引き抜かれた馬場は早速81年6月の「スーパー・パワー・シリーズ」終了後に元子夫人、日本テレビの原章チーフプロデューサーと渡米、カナダのトロントでシンと契約したその足でテキサス州ダラスに飛び、ハンセンと契約を交わしていました。

ハンセンは「新日本プロレスとの契約が年末まで残っているので待ってくれないか」と馬場に依頼。馬場もこれを応諾し、ハンセン投入は「年末」に決まりました。

そんな中、ハンセンは81年8月21日、大宮スケートセンターで開幕の「ブラディ・ファイト・シリーズ」に参戦。9月18日、広島県立体育館で猪木とシングルマッチで対戦。この年の4月23日に蔵前国技館でIWGP出場の為NWFヘビー級王座を返上している猪木とはノンタイトル60分1本勝負で激突し12分46秒、両者リングアウトの引き分けに終わっています。

ハンセンはこの年11〜12月の「第2回MSGタッグ・リーグ戦」に全日本プロレスから移籍して来たディック・マードックとのテキサス・ロングホーンズでエントリー、12月10日、大阪府立体育会館での決勝進出チーム決定戦で猪木&藤波組に敗れたのが新日本プロレスラストマッチとなり、3日後の全日本プロレス蔵前大会に姿を現すことになります。

結果的にこの日の広島での一戦が両者の最後のシングルマッチとなりました。

75年7月30日、大阪府立体育会館の「サマー・ファイト・シリーズ」最終戦で坂口征二と組んでハンス・シュミット&ブルート・バーナード組を破り北米タッグ王座を防衛した猪木はシリーズ終了後直ぐに坂口と渡米し8月1日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムでジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ組のハリウッド・ブロンドスと同王座の防衛戦を行いましたが、大苦戦しノーコンテストに。

タイトルはカリフォルニア州コミッショナー預かりとなりました。

8月3日、猪木は3年連続加盟申請していたNWAに条件付きで加盟を認められましたが、猪木本人はNWA総会に出席せず、代理人弁護士に委任していました。

そのままアメリカに残り、本連載(27)でも書きましたがアメリカで興行戦争を展開しているIWAとWWWFの大会を視察。7日はIWAニュージャージー州ジャージーシティ・ルーズベルト・スタジアム大会を観戦。ミル・マスカラスと日本プロレス依頼顔を合わせた他、この日59歳で復帰を果した鉄人ルー・テーズを訪ね、新日本プロレス参戦をオファー。

2日後の9日はニューヨークMSGで提携先であるWWWFの定期戦を観戦、ビンス・マクマホン・シニアと打ち合わせ。

帰国し8月22日、高崎市体育館で開幕の「闘魂シリーズ」に向けて調整を図っていたところ、左膝の痛みと40度の高熱に襲われました。リングの上は流血もありマット上は菌が繁殖しており、猪木は感染し左膝ウィルス性関節炎(蜂窩織炎)に罹患してしまいました。

猪木は「闘魂シリーズ」を開幕戦から欠場。主治医の佐藤三蔵菊屋橋病院院長は執刀しないで治すことを選択。一時は「左足切断か!?」という衝撃的な記事も書かれました。

新日本プロレスを旗揚げ以来、短期の欠場は何回かありましたがワンマンエースの猪木が長期に亘って休むのは初めて。9月11日、福岡スポーツセンターのリングに猪木は姿を現し、復帰宣言。9月19日、千葉公園体育館で復帰戦。猪木の欠場は実に4週にも及びました。

セミ前の45分1本勝負で猪木はジャック・ルージョーとシングルマッチを行い、ガウンを脱ぐと師匠力道山ばりの黒いロングタイツが現れ、観客席からはどよめきが起きています。

猪木は綺麗なブリッジの鎌固めを見せ、ドロップキックからバックドロップ。11分13秒、体固めでルージョーを撃破し復帰戦を飾っています。現在は医学の進歩もあり蜂窩織炎は短期間で治ることが多く、またリングの衛生管理も行き届いており予防も進んでいますが45年前では治療が難しい病気でした。

これは前18年9月19日発売号に私が予想したものでした。3月20日に次いでまたしてやられた感じでした。

※対戦成績は103戦21勝82敗。
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