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2020年02月09日23:01

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週プロ流智美あの日あの時予想2019年総括(31)

第97戦  8月7日発売号●【予想】輪島デビュー戦&馬場vsアースクェイク・フェリス&JRホッグ。(86年カンザス州カンザスシティ・メモリアル・ホール)【正解】天龍と長州のライバル期(85年ジャパンプロレス後楽園ホール)【参考】2013年8月7日発売号はG1CLIMAX優勝決定戦、蝶野正洋vsパワー・ウォリアー。(94年新日本プロレス両国国技館)

【解説】第54代横綱、元プロレスラーである輪島大士は18年10月9日、70歳で死去。輪島の追悼に関するコラムを流さんが書かれていないので、ここは輪島のデビュー戦を予想。

輪島は81年春場所を最後に体力の限界を理由に引退、先代花籠親方の令嬢である五月さんと結婚しており、年寄「花籠」を襲名。部屋持ち親方として後進の指導にあたっていましたが、妹が経営していた飲食店が潰れそうになると、年寄株を担保に日本相撲協会から借金(結果的には倒産)。その他の金銭問題から元々金銭感覚はルーズな一面があり、輪島は親方を廃業する羽目に。

86年4月13日、キャピトル東急ホテルにおいてプロレス転向、全日本プロレスへの入団記者会見が行われました。当時38歳、年齢面と相撲をやめて5年間も経っておりいくら「黄金の左」で鳴らした大横綱だったとはいえ、不安視する声の方が多かったです。

輪島はシリーズの合間を見て馬場と渡米。「新日本プロレスがゴッチ、ゴッチと騒ぐなら、ウチにはパット・オコーナーがいる」と全面の信頼を寄せていたオコーナーとネルソン・ロイヤルが輪島のコーチを務めました。勿論馬場も直接指導を行い、その模様は日本テレビ「全日本プロレス中継」の中でも放送されました。

8月2日、海外デビュー戦を行う為にミズーリ州セントルイスに出発。そこで馬場、オコーナーらに最終チェックを受け、8月7日にカンザス州カンザスシティ・メモリアル・ホールにて師匠である馬場とタッグを組み、アースクェイク・フェリス&JRホッグ組という現地のジョバー2人とデビュー戦。6分48秒、相撲タックルの2連発からホッグを体固めに決めて勝利を飾りました。

85年8月7日はジャパンプロレスの自主興行シリーズ第2弾の「サマー・ドリーム・フェスティバル」後楽園ホール大会が行われておりますが、流さんはこの大会の模様ではなく、この時期に切磋琢磨していた天龍源一郎と長州力のライバルストーリーに着目して書いておられます。

長州らジャパンプロレス勢が本格的に全日本プロレスのシリーズ参戦したのがこの年の1月2日開幕の「激突!オールスター・ウォーズ」から。長州迎撃の矢面に立ったのは「完全無欠のエース」鶴田ではなく第3の男、天龍でした。

天龍と長州は2月21日、ジャパン自主興行の大阪城ホールで初のシングルマッチを行い、9分12秒、長州が天龍をエプロンでバックドロップで投げるという危険な攻めを見せてリングアウト勝ち。ただしこの試合はノーテレビでした。

2度目のシングル戦は6月21日、日本武道館でのワンナイト興行「スペシャルウォーズ・IN武道館」。全日本プロレスとしては77年5月14日、第5回チャンピオン・カーニバル優勝決定戦(鶴田がリーグ戦1位通過、同点2位の馬場とアブドーラ・ザ・ブッチャーが先ず決勝進出者決定戦で対戦、9分10秒、馬場が反則勝ちで決勝へ進出し鶴田と優勝決定戦を行い10分25秒、ランニング・ネックブリーカードロップからの体固めで勝利。2年ぶり4度目の優勝を果たした)以来、8年ぶりの日本武道館での興行開催となりました。

当時は長州が天龍のUNヘビー級王座に挑む予定でしたが、試合前のセレモニーで長州が天龍のUNベルトを投げ棄てる暴挙に出てノンタイトル戦に変更。15分9秒、長州が暴走して反則負けを取られ、スコアの上では1勝1敗でした。

その後、全日本プロレスでは86年9月3日、大阪城ホールでの一騎討ち(天龍の反則勝ち)が最後のシングル戦となり、長州は翌年新日本プロレスヘUターン。 

90年2月10日、新日本プロレスの東京ドーム大会に全日本プロレス勢が参戦、対抗戦で長州&ジョージ高野組vs天龍&タイガーマスク組が激突。18分59秒、タイガーマスクがG高野にリングアウト勝ち。

天龍は90年4月にメガネスーパーが設立したSWSヘ移籍、SWS崩壊後は92年7月にWARを旗揚げ。新日本プロレスのリングに乗り込み93年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で6年4か月ぶりのシングルマッチが実現。16分3秒、天龍がパワーボムで長州から初フォール勝ちを奪いました。

同年4月6日、両国国技館での再戦では14分53秒、長州がリキラリアット連発からの体固めで雪辱。新日本プロレスではタッグも結成しています。長州は98年1月4日、東京ドームで一度は引退し現場監督となりますが、この年の11月に長州に狙いを定めて新日本プロレスのリングに殴りこみをかけてきた大仁田厚の再三の対戦要求についに復帰。

00年7月30日、横浜アリーナで大仁田とノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチを行い4分56秒、サソリ固めでレフェリーストップ勝ち。以後出場試合限定で試合に出場することになりました。

一方の天龍は98年にWARが活動休止となるや再び新日本プロレスに参戦していましたが00年7月、馬場没後の全日本プロレスで三沢光晴以下プロレスリング・ノア勢が大量離脱するや、全日本プロレスに10年ぶりに復帰しました。

長州は02年5月に新日本プロレスを退団、翌03年新団体WJを旗揚げ。旗揚げシリーズで天龍と相まみえることに。このシリーズ6大会、全試合で長州と天龍のシングル戦を行うと発表。旗揚げ興行の3月1日、横浜アリーナでは長州が先勝。3月15日、後楽園ホール、3月16日、仙台・宮城県スポーツセンターの第2、3戦は天龍が連勝しました。

当時51歳の長州と53歳の天龍では肉体的負担が過大だったか共に体調不良を起こし、3月18日、群馬・太田市民体育館、19日、埼玉・草加市スポーツ健康都市記念体育館、20日、千葉・流山市総合体育館の3大会での対戦は中止になりました。

両者が引退した現在でもバラエティ番組やトークバトルなどで絡んでおり、藤波と長州(長州の新日本プロレス入団に遡れば46年)、馬場と猪木(38年)に次ぐ長いライバルストーリーであると言えます。

※対戦成績は97戦20勝77敗。
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