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2020年02月07日23:26

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週プロ流智美あの日あの時予想2019年総括(29)

第95戦 7月24日発売号●【予想】猪木のNWFヘビー級王座戦で唯一、放送されなかったお蔵入りの試合、vsペドロ・モラレス(78年新日本プロレス広島県立体育館)【正解】ラッシャー木村、アレックス・スミルノフに敗れIWA世界ヘビー級王座から転落。(79年7月21日国際プロレス村上市民会館)【参考】2013年7月24日発売号は馬場、ビル・ロビンソンから2フォール奪ってPWFヘビー級王座を防衛。(76年全日本プロレス蔵前国技館)

【解説】猪木のNWF(世界)ヘビー級王座防衛戦の中で唯一、テレビ収録されながらも放送されず「お蔵入り」となった幻の試合、ペドロ・モラレス戦。7月19日の釧路大会でヘイスタック・カルホーンのボディプレスを食った時に背骨を痛めた猪木が大苦戦、9割方攻め込まれながらもモラレスのバックに回り込み、22分34秒、逆さ押さえ込みで九死に「一勝」をあげた試合でした。

試合後、背骨にダメージを受けた猪木は試合コスチュームのままタクシーで病院に直行した写真が当時の雑誌に掲載されています。

この日は月曜日で、シリーズ最終戦の7月27日、日本武道館ではボブ・バックランドvs猪木のWWWFヘビー級選手権試合、藤波vs剛竜馬のWWWFジュニア・ヘビー級選手権試合が行われ、翌28日のワールドプロレスリングでは藤波vs剛の後にバックランドvs猪木戦が放送されましたが試合の途中で放送時間が終了。

翌週8月4日にバックランドvs猪木が試合終了(1ー1から61分時間切れ引き分け)まで放送されました。猪木vsモラレスのNWF戦は翌週11日に放送とテロップが流れましたが、11日は8月4日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムでの藤波vsアーマンド・ゲレロのWWWFジュニア・ヘビー級選手権試合と同日行われたロディ・パイパーvsトニー・ロコ戦を放送。

猪木vsモラレスは翌週18日に放送されると再度訂正がありましたが、18日はワールドプロレスリングというか、日本のプロレス中継番組が初めてメキシコから放送を行う歴史的な回となり、8月13日、メキシコシティ・パラシオ・デ・ロス・デポルテスから藤波vsレイ・メンドーサのWWWFジュニア・ヘビー級選手権試合、エル・ソリタリオ&グラン浜田&アニバル組vsカネック&カルロフ・ラガルデ&セザール・バレンチノ組の6人タッグが放送されました。

8月25日からは新シリーズ「ゴールデン・ファイト・シリーズ」が開幕、開幕戦の長岡市厚生会館からの生中継ですので、結局猪木vsモラレス戦はダイジェストでも放送されませんでした。

放送中止になった理由が明かされないままお蔵入り。いろんな憶測が出回りましたが、最も有力だったのが「猪木のコンディションが悪くモラレスに攻められっ放し、猪木に全くいいところがなく、あまりに酷い内容だったのでテレビ朝日が放送を見送った」というもの。これが定説となり、中には「新間がテレ朝に放送しないよう依頼した」という説もありました。

攻められるだけ攻められた揚げ句の逆転勝利という面では、76年12月2日、大阪府立体育会館でのイワン・コロフ戦(22分36秒、逆さ押さえ込みで勝利)もあるし、釈然としない部分もありましたが、近年になって当時の営業担当だった上井文彦元同社執行役員の証言で「テレ朝のミスか、会場の都合かはわからないけどテレビ用の照明が突然落ちた」という説が出てきました。

上井氏も相当なホラ吹きですが、大昔の話で嘘をついても本人にメリットはなく、また、同日行われた坂口&ストロング小林組vsピーター・メイビア&カルホーン組の北米タッグ選手権試合も放送されていないので妥当な線かと思います。

19年に物故したモラレスについて4月17日、津市体育館での木戸修戦を流さんは採り上げていますが、モラレスならばこちらの試合の方が重要と私は考えます。

IWA世界ヘビー級王者としての第二次ラッシャー木村政権は76年7月31日、越谷市体育館で負傷を理由に棄権した上田馬之助の代打であるスーパー・アサシン(ロジャー・スミス)を金網デスマッチによる王座決定戦で破り王座返り咲きを果たして以来、3年に及ぶ長期安定政権となりました。

ワイルド・アンガス、ジプシー・ジョー(2回)、ギル・ヘイズ、ジョー、リップ・タイラー、アンガス、キラー・トーア・カマタ、ジョー、マイティ井上、カウボーイ・ボブ・エリス、キラー・ブルックス、クレイジー・セーラー・ホワイト、ブルックス、M井上、ザ・カサバブ、アレックス・スミルノフ、梁承揮(力抜山)、オックス・ベーカー(2回)、スミルノフ、ジョン・トロス、上田、スーパースター・ビリー・グラハム、ジョー、ブルックス、アンドレ・ザ・ジャイアントと27回の王座防衛に成功。

S小林が保持していた同王座の防衛記録である25回を更新しています。

7月21日、村上市民会館で宿敵スミルノフの挑戦を受け28度目の防衛戦を行っています。試合は61分3本勝負。1本目は8分40秒、R木村が体固め。2本目は2分50秒にスミルノフが体固め。決勝の3本目は3分16秒、スミルノフが体固めで勝利し、R木村は王座転落。

前7月20日、大館市民体育館で新日本プロレスからのレンタル参戦である超大物、大巨人アンドレと防衛戦を行い、10分25秒、両者リングアウトの引き分けで防衛に成功したことで気が緩んだか、記録は27でストップ。

ただしこの中には、ジョー、M井上、ブルックスと3度のノーコンテストがあり、国際プロレスはノーコンテストも防衛記録に加算しています。ノーコンテストは試合そのものが無効試合なので、防衛記録に入れること自体は間違っていると思いますが…。

4日後のシリーズ最終戦、7月25日、三島市民体育館でR木村はスミルノフとのリターンマッチに挑み(61分1本勝負)16分19秒、体固めで勝ち王座奪回に成功しています。 

これまで、翌日の先日付、1日の過去日付、年度最終号に元日の試合の出来事を持って来たことはありましたが、3日前の出来事について書かれたのは初めてでした。スミルノフも19年1月5日に物故しており、追悼記事の意味合いもあったのでしょう。

※対戦成績は95戦19勝76敗。
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