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2020年02月05日05:30

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週プロ流智美あの日あの時予想2019年総括(26)

第92戦 7月3日発売号●【予想】藤波、NWA世界ジュニア・ヘビー級王者レス・ソントンとジュニア世界一を賭けて対戦。(81年新日本プロレス後楽園ホール)【正解】NETワールドプロレスリング放送開始。(69年7月2日)【参考】2013年7月3日発売号は初の同一会場日本テレビ、NET同時中継、インターナショナル選手権試合、馬場vsフレッド・ブラッシー。アジア・タッグ選手権試合、猪木&大木金太郎組vsブルート・バーナード&クルト・フォン・ストロハイム組。(69年日本プロレス蔵前国技館)

【解説】本連載も折り返し地点に突入。この日は81年全日本プロレス、熊谷市民体育館での「サマー・アクション・シリーズ」に新日本プロレスから移籍してきたタイガー・ジェット・シンが乱入、メインイベントの馬場&鶴田組vsディック・スレーター&ビル・ロビンソン組の試合をぶち壊す事件が起きていますが、私は敢えて裏狙いで同日同時刻から後楽園ホールで行われた新日本プロレスの「サマー・ファイト・シリーズ」開幕戦を予想。

セミファイナルで行われたのが藤波vsレス・ソントンのWWFジュニア・ヘビー級選手権試合。1年半前の80年2月1日、札幌中島スポーツセンターで藤波はNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王者であるスティーブ・カーンとWWFジュニアとのダブル・タイトルマッチに勝利していますが、当初、NWAインターナショナル・ジュニア王座は、「NWA世界ジュニア・ヘビー級王座」であると報じられて来ました。

猪木がNWA世界ヘビー級王座に挑戦出来ないこともあり、藤波がジュニアながらNWA世界のベルトを獲ったことは非常に価値があり、またこの試合の立会人としてフロリダ地区のプロモーターで元NWA会長だったエディ・グラハムが来日したこともあり新日本プロレスファンは大変喜んだものでした。

しかし、ベルトのデザインが違ったこともあり、別冊ゴング80年3月号で「NWA世界ジュニア・ヘビー級王座は依然としてオクラホマのプロモーターであるレロイ・マクガークが管理しており、2月にオクラホマで王座決定トーナメントが行われる模様、スティーブ・カーンのNWA世界ジュニア・ヘビー級のベルトはEグラハム、ビンス・マクマホン・シニア、マイク・ラーベルらのメンバーにより新たに作られた『NWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座』である」との記事が掲載されました。

オクラホマ版の正統のNWA世界ジュニア・ヘビー級王座は80年2月11日、オクラホマ州タルサで王座決定トーナメント決勝戦が行われ、ロン・スターがレス・ソントンを破り王座に就きました。

新日本プロレスはスターを同年9月30日、日本武道館での「ファン感謝スーパーファイト」、10月10日、後楽園ホールで開幕の「闘魂シリーズ」に招聘しましたが、スターは素行不良を理由にベルトを剥奪されており、王者にはソントンがなっていました。

スターは9月30日、日本武道館で藤波の持つWWFジュニア・ヘビー級王座に挑戦し16分39秒、逆エビ固めでギブアップ負け。スターを倒した藤波はいよいよ「ジュニア最強」の呼び声が高くなりましたが、NWA世界ジュニア・ヘビー級王者のソントンは11月の全日本プロレス「世界最強タッグ決定リーグ戦」にビル・ロビンソンのパートナーとして来日。このあたりは馬場の新日本プロレスへの対抗措置かと思われます。

翌81年、ソントンがNWA世界ジュニアのベルトを巻いて新日本プロレスのリングに7年半ぶりに来日、当初は藤波がソントンの王座に挑戦する予定でしたが、NWAのベルトは賭けられず、藤波のWWFジュニア・ヘビー級王座にソントンが挑戦することに変更されました。

試合は15分48秒に両者リングアウトとなり、藤波が23度目の防衛を果たしていますが、再戦となる7月31日、大阪・臨海スポーツセンターでは9分49秒、ジャパニーズ・レッグロール・クラッチ(回転足折り固め)で藤波が勝ちました。

NET(テレビ朝日)のワールドプロレスリングが放送開始して19年7月2日で満50年を迎えました。NETの放送開始から遡ること15年前、老舗日本テレビが54年2月19日、蔵前国技館での力道山&木村政彦組vsベン&マイクのシャープ兄弟のプロレス国際試合から放送を開始し、09年3月29日のプロレスリング・ノア中継を最後に55年に及ぶ地上波でのプロレス中継の歴史に幕を閉じています。

しかし、日本テレビは72年、猪木除名処分後の日本プロレスが約束を破って馬場をNETに登場させた時と、00年、三沢光晴以下全日本プロレス所属選手が大量離脱した時2度に亘っての放送打ち切り時期がありますが、テレビ朝日は1度も打ち切ることなく放送を継続しています。

68年に国際プロレスの外国人ブッカーに就任しながら2シリーズ目の途中で「約束したギャラが支払われない」と参加外国人を全員引き上げさせたグレート東郷は日本プロレス、国際プロレスに次いで3度目の日本上陸を画策。

国際プロレスの旗揚げ「オープニング・ワールド・シリーズ」にTWWA世界ヘビー級王者として来日したルー・テーズを担ぎ出し69年に「テーズ&トーゴーカンパニー」(仮称ナショナル・エンタープライズ)という新団体を設立、フランス在住の日系人レスラー、シャチ横内をエースに外国人メンバーを集めたプロダクションの設立を画策しNETに放送を打診。日本テレビ、TBSで数字の取れているコンテンツとしてプロレスに魅力を感じていたNETは放送に乗り気でした。 

力道山死後、これまでのあまりのギャラピンハネぶりに日本プロレスは東郷と絶縁し代わりに「手切れ金」を渡していたことから日本プロレスはNETに「東郷の新団体のプロレスは放送しないで欲しい」と要請、NETは「ならばウチで日本プロレスを放送しないか」と働きかけました。

そこで日本プロレスは「民放2局から入る放映権料」に目がくらみ、日本テレビに’肋譴了邱膈∈筝の試合ワールド・リーグ戦の公式戦を放送しないことを条件に了解を取り付け、猪木、大木金太郎、吉村道明らを中心にNETでの放送開始を決定。(↓はなし崩し的に反故にされた。猪木、大木、吉村らは日本テレビと2局同時に出ることが可能)

5月12日赤坂プリンスホテルでNETによるプロレス中継開始発表の記者会見が行われ、7月2日から毎週水曜日午後9時からの60分枠で放送開始。つまり馬場が出られないように生中継が出来ない時間帯でのスタートとなりました。

初回放送は6月23日、大田区体育館からの録画中継で猪木&吉村組がクルト・フォン・スタイガー&カール・フォン・スタイガー組を破り、大木はエドワード・ペレスを破っています。

これまで「先日付」の「あの日あの時」はありましたが、過去日付の出来事は初めて。まあ、前回2013年にも2局放送については書かれているものの、2度はないワールドプロレスリングの放送開始50周年なので、日付に関係なく書いておくべき歴史的価値がある出来事だったことは認めます。

※対戦成績は92戦19勝73敗。
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