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2020年02月03日21:28

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週プロ流智美あの日あの時予想2019年総括(25)

第91戦 6月26日発売号○原進デビュー戦、vs寺西勇。(78年国際プロレス大阪府立体育会館)【参考】2013年6月26日発売号は猪木vsモハメド・アリ戦当日に行われた「格闘技五輪」(76年WWWFニューヨーク・シェアスタジアム、AWAイリノイ州シカゴ・インターナショナル・アンフィシアター、NWAテキサス州ヒューストン・サム・ヒューストン・コロシアム、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアム)

【解説】前半戦の最後に来てようやく19年3勝目。18年は半年で6勝しているのにその半分しか勝てませんでした。今回は2013年がモハメド・アリvs猪木の「格闘技世界一決定戦」の同日に行われた格闘技五輪だった為、アリvs猪木戦そのものか、猪木がタイガー・ジェット・シンの腕を折った試合(74年大阪府立体育会館)、猪木がシンからNWFヘビー級王座を奪回した試合(75年蔵前国技館)など、本連載(5)で書いた富山県氷見市のT院長の定義するところの「昭和猪木の日」のいずれかに絞り、75年蔵前でのシンvs猪木戦にしようかと思っていました。

しかし、私が予想した流さんの「東京12チャンネル時代の国際プロレス」発売に伴う国際プロレス関連の予想が2回外れているので急遽、ラグビー界からプロレスに転向した原進(阿修羅・原)のデビュー戦に直前で差し替えを致しました。

ラグビーワールドカップが秋に行われた19年、ラグビー日本代表だった原の功績を振り返る記事も掲載されましたが、原は47年長崎県出身、東洋大学、近鉄とラガーマンとして活躍、その高い身体能力から76年には日本人初の世界選手権に出場。

77年に同じラグビー元日本代表だったグレート草津との関係から国際プロレス入り。11月29日、高田馬場BIGーBOXで入団会見が行われています。国際プロレス15年の歴史の中で、原が最初で最後の「鳴り物入り」入団でした。

32歳と当時では遅いプロレス入りでしたが高い身体能力を持っていたところから吉原社長は「普通の選手が3年かかるところを1年で覚えさせる」と豪語。また、「和製チャールズ・ブロンソン」と呼ばれる野生的な風貌とスター性は、地味な選手の多かった国際プロレスの中では一際異彩を放っており、将来的に団体を背負うエースの素質は十分でした。   

この日原はベテランの寺西勇とデビュー戦を行い、15分時間切れ引き分けとなっていますが、ベテラン寺西が上手く引っ張った感じでした。

デビュー戦を終えた原は7月に当時の国際プロレスの提携先であったカナダ・カルガリーのスチュ・ハート主宰の「スタンビート・レスリング」で海外修行に出発。「ファイテング・ハラ」のリングネームで活躍。同年12月に帰国。

原と親交の深かった作家の野坂昭如氏が名付け親となりリングネームを「阿修羅・原」と改め、翌79年1月の「新春パイオニア・シリーズ」から凱旋帰国して参戦しています。

※対戦成績は91戦19勝72敗。
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