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2020年02月02日23:06

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週プロ流智美あの日あの時予想2019年総括(24)

第90戦 6月19日発売号●【予想】場外フェンス設置、フェンスアウトルール採用。(80年新日本プロレス高崎市体育館)【正解】猪木vsタイガー・ジェット・シン、パキスタン決戦。(79年6月18日パキスタン・カラチナショナルスタジアム)【参考】2013年6月19日発売号は86IWGP王座決定リーグ戦優勝決定戦、猪木vsディック・マードック。(86年新日本プロレス両国国技館)

【解説】80年新日本プロレス「サマー・ファイト・シリーズ」開幕戦の6月19日、高崎市体育館から青の「場外フェンス」がお目見え。実は新日本プロレスにおける場外フェンス設置はこれが初めてではなく、77年2月10日、日本武道館での猪木vsタイガー・ジェット・シンのNWFヘビー級選手権試合、坂口vs上田馬之助の時に「シンと上田を逃走させない為」に木製の白塗りの場外フェンスが設置されています。

この時はセミファイナルで組まれた坂口vs上田戦で上田がフェンスを超えて逃走し試合放棄した為、観客席から怒号が起き、役には立ちませんでした。

今回は、場外フェンスの設置の理由を「観客を守る為」とし、同時に審判部を設立、4月4日、川崎市体育館で引退した山本小鉄を審判部長とし、ルールを策定。場外乱闘の際、対戦相手を「故意に」場外フェンス越しに投げたら反則負け、また両者が同体でフェンスから身体が外に出てしまったら両者フェンスアウトとなる「フェンスアウトルール」が採用されました。

実際はWWFとの提携路線強化で大物外国人選手が多数同時に上がるようになった新日本プロレスが不透明決着を容認せざるを得なくなったことによることがルール改定の原因と言えます。また、選手層が厚くなり、正味約45分の「ワールドプロレスリング」の生中継の中に3試合収めなくてはならないことも増えたことも要因かと思われます。

開幕戦の高崎大会はノーテレビであり、ワールドプロレスリングの画面に場外フェンスが登場したのは翌6月20日の大宮スケートセンターからの生中継からでした。

試合が「さあ、これから」と言う時に終わってしまうことでファンには不評でしたが、88年に新生UWFか旗揚げし完全決着主義を打ち出してファンの支持を得られるようになると、このルールは撤廃されています。

猪木は76年12月にパキスタンに初遠征、12月12日、カラチナショナルスタジアムで地元のレスリングの英雄、ボル・ブラザーズのアクラム・ペールワンと対戦、3ラウンド1分5秒、アームロックでアクラムの左腕を骨折させるという壮絶な勝利を飾っています。

それから3年、猪木は再びパキスタンヘ遠征、6月17日、ラホールでジュベール・ペールワンと5分10ラウンド闘い、引き分け。翌18日にはカラチでタイガー・ジェット・シンと時間無制限1本勝負で対戦、25分45秒、両者カウントアウトの引き分けに終わっています。

ただし6月19日というのは日本時間。通常、海外での試合は現地時間表記が原則。この理屈でいけば藤波がカルロス・ホセ・エストラーダを破ってWWWFジュニア・ヘビー級王者となったのは78年1月24日になってしまいます。

「どっちでもいい」かも知れませんが自分の都合のいいような解釈をするのはやはり駄目でしょうね。

※対戦成績は90戦18勝72敗。

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