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2020年01月16日22:56

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週プロ流智美あの日あの時予想2019年総括(7)

第73戦 2月20日発売号●【予想】長州、右腕ガングリオンを理由に試合を欠場、同日、マサ齋藤が猪木の誕生日を祝福に現れる。(87年全日本プロレス後楽園ホール&中野サンプラザ「突然卍がためライブ」)【正解】木戸修凱旋帰国試合&猪木組vsグレート・ゴリアス&ブラック・ゴールドマン組(76年新日本プロレス大田区体育館)【参考】2013年2月20日発売号は猪木&吉村道明組vsミル・マスカラス&ダグ・ギルバート組アジア・タッグ選手権試合(71年日本プロレス大阪府立体育会館)

【解説】ジャパンプロレス勢も全日本プロレス参戦から3年目に突入。前86年秋衣から長州はマスコミのインタビューの中に「青山」(元の新日本プロレスの事務所があった東京都港区南青山、古巣の新日本を指す)という単語を多く発するようになり、新日本プロレスヘの郷愁の思いが強くなって来た感じでした。

この年の1月17日、故郷の徳山市(現在の周南市)体育館でカート・ヘニングを8分18秒、リキラリアットからの体固めで破りPWFヘビー級王座を防衛した長州は、試合後のテレビインタビューで「今年は鶴田、天龍、藤波と闘っていきたい」とタブーである藤波の名前を出し、生放送で流れてしまいました。

これを受けた藤波は「2月5日、両国国技館に長州の席を用意する」とコメント、「ニューイヤー・ダッシュ87」最終戦の2月5日、両国国技館大会の砂かぶり席に長州の席を用意。

しかしこの日は全日本プロレス「新春ジャイアント・シリーズ」最終戦が札幌中島体育センターで行われる日で長州は姿を現さず。長州はこの日谷津嘉章と組んで鶴田&天龍組とインターナショナル・タッグ王座の防衛戦。17分5秒、天龍が谷津を「武骨なジャーマン・スープレックスホールド」で破り1年ぶりに鶴龍コンビが王座奪回。谷津がフォールされた瞬間、長州は吹っ切れたかのような笑顔を見せました。

2月20日、後楽園ホールで行なわれた「エキサイト・シリーズ」開幕戦を長州は「右腕ガングリオン」を理由に欠場しました。新日本プロレス復帰への布石だった訳です。

同日、中野サンプラザホールにて猪木の44歳の誕生日を祝う、プロレス好きのミュージシャン達が集まったライブイベント「突然卍がためライブ」が開催され、主役である猪木も音楽を楽しんでいました。バースデーケーキのサプライズに猪木が呼ばれてステージに登壇していたところ、アメリカにいたはずのマサ齋藤が姿を現し、猪木に祝福の花束を贈呈しています。

M齋藤は84年6月のIWGPまで新日本プロレスのシリーズに参戦、84年10月に長州らと共にジャパンプロレスに移籍。翌85年1月の「激突!オールスター・ウォーズ」後半戦から全日本プロレスのリングに参戦。

5月のジャパン自主興行「ビッグ・ラリアート・フェスティバル」から全日本「激震!サンダー・ウォーズ」序盤戦まで出たところでアメリカに帰国。

前84年4月にアメリカでケン・パテラと起こした警察官暴行事件で実刑が確定し、所管であるウィスコンシン州の刑務所に服役していました。猪木は東京プロレス以来の付き合いとなるかつての盟友であるM齋藤に激励の手紙を送っていたそうでM齋藤はいたく感謝していたとのことでした。

これを受けて新日本プロレスでは3月26日、大阪城ホールで予定していた猪木レスラー生活25周年記念興行「INOKI闘魂LIVE PART2」の猪木の対戦相手をM齋藤に決定。試合の前日の3月25日、大阪・ホテル南海で行なわれた調印式では「M齋藤の代理人」として全日本プロレスのシリーズを欠場していた長州が出現。試合当日はM齋藤が入場テーマ曲に「パワーホール」を使って入って来る等、長州の新日本プロレスUターンは現実味を帯びて来ました。

そういう意味で87年の2月20日は長州新日本Uターンへの序曲とも言える出来事が都内で同日に起きた日でした。

本連載(3)での藤波の項でも書きましたが、新日本プロレス旗揚げメンバーである木戸修は、75年6月、藤波と共に西ドイツ・ハノーバーに海外修行に出発。ハノーバーのプロモーターであるグスタフ・カイザーの元で試合をしていました。同年12月19日、猪木から招集がかかり、木戸と藤波はロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムのリングで「査定試合」を行いました。

木戸はロック・ライデル(未来日)を破り、藤波はミッキー・ドイル(73年11月に全日本プロレスに1度だけ来日、11月24日、蔵前国技館で鶴田とシングルで対戦した試合は映像が残っている)に勝利。修行の成果を発揮しましたが、キャリア4年の藤波はそのまま残って、アメリカに渡りフロリダのカール・ゴッチの元を経てからノースカロライナ地区へ転戦。

キャリア6年の木戸はゴッチの元で最終調整を図った後、翌76年2月20日、大田区体育館で開幕の「ビッグ・ファイト・シリーズ」に凱旋帰国、メインイベントで猪木とタッグを組み、「赤い悪魔」グレート(エル)・ゴリアス&ブラック・ゴールドマン組のレッド・デビルスと対戦。

同シリーズの外国人エースは途中から参戦の死神ジョニー・パワーズでしたがゴリアス&ゴールドマン組はタッグチームのエース格として来日、3月4日、広島県立体育館では坂口&ストロング小林組の北米タッグ王座に挑戦が決まっていおりどちらのチームも負けられない一戦となりました。 

1本目は13分33秒、2本目は3分27秒に日本組が反則勝ちで猪木&木戸組が2ー0のストレートで勝ちましたが、小ずるい反則を多用するゴリアス&ゴールドマン組に苦戦し木戸には苦い凱旋マッチとなりました。

新日本プロレスとしても木戸を売り出したいところでしたが地味なところもあり本格的に売り出してもらえず、翌77年の吉田光雄(長州)、翌々78年の藤波と同じ時期に凱旋帰国した後輩たちの後塵を歩くことになります。

※対戦成績は73戦17勝56敗。
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