mixiユーザー(id:21258650)

2019年11月18日22:41

367 view

猪木とビンス(591)最終章

国際プロレス81年「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」ですが国際プロレス四天王の一人でIWA世界タッグ王者だったアニマル浜口が肝炎の為、無念の欠場となっています。マイティ井上とのタッグで保持していた同王座は返上となりました。

阿修羅・原が凱旋帰国して来たとは言え、試合に抜群の安定感を誇る浜口のこのタイミングでの欠場は国際プロレスにとっても大きなダメージでした。

開幕戦のメインイベントは前回書いた原vsスティーブ・オルソノスキーのシングルマッチでしたが、セミファイナルはラッシャー木村&M井上組がポール・エラリング&テリー・ラザン組と対戦。(45分1本勝負)15分43秒、日本組の反則勝ち。

初来日のエラリングは後に心臓疾患でリタイアしアニマル&ホークのザ・ロード・ウォリアーズのマネージャーとして有名になりますが、

レスラーとしてもスーパースター・ビリー・グラハム、ハルク・ホーガン、ジェシー・ベンチュラ等の流れを組むマッチョマンタイプの新鋭レスラーで、やはり今までの国際プロレスにはないタイプの新鮮なイメージ受けました。

エラリングの入場テーマ曲は翌82年4月に新日本プロレスに登場する初代ブラック・タイガー(ローラーボール・マーク・ロコ)の入場テーマ曲として知られているクィーンの映画「フラッシュ・ゴードン」のサントラ盤に収録された「フットボール・ファイト」を使用していましたが、東京12チャンネルのレギュラー放送打ち切りにより、良い選曲であったにも関わらず、聞いていた人が少数だったのが残念でした。

4月26日、全日本プロレスの後楽園ホールにオルソノスキーが来場し、テリー・ファンクを介抱しにリングに上がっていますが、引き抜き等のきな臭い話ではなかったです。

4月30日、前80年3月に脳腫瘍の手術を行い病気療養中だったスネーク奄美(本名 栄勇)が脳腫瘍の再発から入院中の札幌市豊平区の中村記念病院で亡くなっています。享年29歳の若さでした。奄美は鹿児島県出身で中学校卒業後に大相撲の井筒部屋に入門しましたが廃業、高校に進学し高校時代はアマレスの選手として活躍、インターハイにも出場しました。

72年に国際プロレスに営業部員として入社しましたがレスラーデビューを吉原に直訴し73年1月にデビュー、75年6月29日、後楽園ホールで寺西勇と組んでザ・コマンド1&2号を破った試合で初のテレビ登場となりました。

79年8月26日、日本武道館での「プロレス夢のオールスター戦」では新日本プロレスの荒川真(ドン)と対戦し荒川のジャーマン・スープレックス(ホールドでない)に壮絶なフォール負け。前座の名選手でした。

5月3日の日曜日午後6時より60分枠で国際プロレスアワーの単発放送の第1回目がオンエアされ(関東地区)、4月18日の後楽園ホール大会から原vsオルソノスキー、R木村&M井上組vsエラリング&ラザン組、寺西&マッハ隼人組vsカルロス・プラタ&ホセ・ルイス・メンディエタ組の3試合が放送されています。

5月4日、札幌中島体育センターで浜口の返上で空位となったIWA世界タッグ王座決定戦が行われ(61分3本勝負)、日本側は現時点での国際プロレス最強と言えるR木村&M井上組が出撃、外国人側のエラリング&ラザン組と対戦。開幕戦の再戦となりました。

1本目は11分9秒にM井上がラザンを片エビ固め、2本目は5分42秒外国人組が反則勝ち。3本目は2分56秒、エラリングがM井上を体固めに決めて2−1でエラリング&ラザン組の勝利、で第25代王者チームになりました。国際最強タッグまさかの敗退。

5月13日、一関市体育文化会館で今度は原がM井上と組んでエラリング&ラザン組のIWA世界タッグ王座に挑戦(61分3本勝負)。1本目は10分46秒に原がラザンを体固め、2本目は3分21秒、エラリングが原を体固め、決勝の3本目は3分21秒、原とエラリングが両者リングアウトとなり1−1でエラリング&ラザン組が初防衛に成功。

国際側はこうなればもう得意の金網デスマッチしかなく、シリーズ最終戦の5月16日、後楽園ホール(テレビ収録、観衆2,200人満員発表)ではエラリング&ラザン組に原&M井上組が金網デスマッチで再挑戦(時間無制限1本勝負)。17分19秒、原が外したリングロープを使ってエラリングをスリーパーホールドに捕らえ、エラリングはギブアップ。国際チームは土壇場で王座奪回を果たしました。

この日はダブルメインイベントでダブルメイン第1試合ではR木村のIWA世界ヘビー級王座にオルソノスキーが挑戦。13分12秒、R木村が前80年7月13日、兵庫・八鹿町立体育館でのランディ・タイラー戦以来となる裏足4の字固めでオルソノスキーをギブアップさせ、15度目の防衛に成功しました。

なお、この日の大会が東京12チャンネルで放送されたのは(関東地区)国際プロレスが興行活動を休止してからの9月17日深夜0時〜1時でした。
4 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年11月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

最近の日記