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2019年11月17日22:44

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猪木とビンス(590)最終章

81年1〜3月にかけて行われたルー・テーズ杯争奪予選リーグ戦は外国人枠が第一次予選リーグを1位通過したマイク・ジョージ、ホセ・アローヨ、第二次予選リーグ戦で2位となったレイ・キャンディの決勝リーグ戦進出が決定。

日本人枠は第一次と第二次の通算成績によって決められ、敗者復活戦、ブロック代表決定戦を除いたリーグ戦本戦のみの順位は1位が10戦9勝1敗のラッシャー木村
、2位が9戦7勝2敗のアニマル浜口、3位が9戦6勝3敗のマイティ井上、4位が8戦5勝3敗の寺西勇。この4選手が決勝リーグ戦進出。

さらにルー・テーズ推薦選手、国際プロレス推薦選手を2〜3人追加し秋には決勝リーグ戦を行うことになっていましたが、実現することなく団体は崩壊の憂き目に遭ってしまいました。

さて81年国際プロレス「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」は4月18日、後楽園ホールで開幕。ポール・エラリング、スティーブ・オルソノスキー、テリー・ラザン、マイク・ミラー、カルロス・プラタ、ホセ・ルイス・メンディエタの外国人選手が参戦。

3月末で東京12チャンネルのレギュラー放送打ち切り後の最初のシリーズとなりましたが、開幕戦の後楽園ホール大会はテレビ収録されました。同シリーズにアメリカMSWAで修行し、ヘビー級戦士となった阿修羅・原が凱旋帰国。しかし、「時既に遅し」の感ありは否定出来ません。

原は帰国してからの公開練習で、コーナーポスト最上段の相手を、セカンドロープに登って投げ捨てる新兵器「雪崩式ブレーンバスター」を初公開。これはMSWAで試合をしていたスーパー・デストロイヤー(正体はスコット・アーウィン、80年1月に全日本プロレスに来日したビル・アーウィンの兄で同年10月、全日本の「ジャイアント・シリーズ」にマスクマンのジ・アステロイドとして初来日)が「スーパープレックス」という名称で使っていたものでした。

開幕戦ではオルソノスキーとのシングルマッチが組まれていた原は「この技でオルソノスキーを倒す」と宣言していました。

この写真は東京スポーツに掲載されましたが、この記事を見ていた新日本プロレスの木村健吾が1日前の4月17日、鹿児島県立体育館でのテレビ生中継、藤波辰巳とのIWGPアジア・ゾーン予選でちゃっかりとパクって仕掛けていきました。

しかし、付け焼き刃に過ぎず藤波は木村健に担ぎ上げられながらも空中で身体を反転させて体勢を入れ換え、木村健を押し潰してカウント3。15分35秒、体固めで藤波が勝ってしまい木村健はとんだ赤っ恥をかいてしまいました。

この木村健のパクり失敗の行為はファンの失笑もありましたが批判的な声も大きかったです。

18日後楽園ホールでの開幕戦では原はオルソノスキーに雪崩式ブレーンバスターを見事に決めて13分28秒、体固めで完勝しています。
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