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2019年10月27日22:31

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猪木とビンス(569)最終章

79年国際プロレス「デビリッシュ・ファイト・シリーズ」は11月1日、高萩市民体育館で開幕。モンゴリアン・ストンパー、アレックス・スミルノフ、ジプシー・ジョー、キューバン・アサシン(1号)らの外国人選手が参加。

また、AWAの帝王バーン・ガニアが中盤戦(11月12日新潟・小出郷体育館〜16日和歌山県立体育館)まで特別参加しています。

上田馬之助が前シリーズに続きフル参戦、また外国人ヒールサイドとして国際プロレスに入門し、藤井東助、零戦隼人等のリングネームで試合をし、国際プロレスの体制批判をして離脱、フランス在住の日本人ヒールレスラーの先駆者であるシャチ横内を頼って渡仏、その後アメリカに転戦した藤井康行がヤス・フジイのリングネームで参戦、上田と共闘をすることになりました。

日本陣営には日本人初の逆上陸ルチャドール、マッハ隼人(本名・肥後繁久)が帰国してフル参戦しています。マッハは身体が小さくて日本でプロレスラーにはなれず、単身メキシコに渡り、アレナメヒコのルチャスクールでルチャを学び、現地にてデビューしています。  

このケースは後にウルティモ・ドラゴン(浅井嘉浩)を初め、結果的に新日本プロレスに入門となった山田恵一など多くのレスラーが踏襲しており、マッハはその道の文字通り「パイオニア」でした。マッハがいなければ闘龍門ジャパンは出来ていなかったと言っても過言ではないでしょう。

11月4日、後楽園ホールで、前日の11月3日、越谷市体育館大会を「遅刻」により欠場した鶴見五郎は試合出場停止処分を受けました。これを不満に思った鶴見はテレビ中継のゲスト解説をしている吉原に詰め寄り、吉原の胸ぐらを掴みました。

これを見ていたのが吉原を「日本のお父さん」と慕い、「日本人以上に日本人のハートを持っている」と言われた稲妻二郎。稲妻は「社長に何をする」と鶴見を静止し、両者は乱闘に。鶴見は選手会を除名処分になりました。

11月7日、弘前市民体育館で両者はカベジェラ・コントラ・カベジェラ(敗者髪切りマッチ)で対戦。レフェリーはラッシャー木村が務め、稲妻が勝利。鶴見は国際プロレスの選手達に押さえつけられてバリカンで髪を切られてスキンヘッドに。

鶴見はこちらも日本初の「団体所属のヒール日本人レスラー」となった訳です。鶴見は上半身のリングコスチュームのトレードマークであった日の丸の縫い取りを外し、上田、フジイらフリー組とタッグを組むことになります。

この日、弘前大会では阿修羅・原のWWU世界ジュニア・ヘビー級王座にジプシー・ジョーが金網デスマッチで挑戦。レスラーとしては小柄な部類に入るジョーですが、流石にジュニア・ヘビー級というには無理があり過ぎました。他に挑戦者がいなかったのでしょう。

試合は15分33秒、両者KOの引き分けに終わり、「タイトル戦に勝てない王者」原が6度目の防衛に成功していますが、ジョーもポジションを下げられたとは言え、ジュニアの原に勝てないのも残念な話であり、やはり国際プロレスのマッチメークの稚拙さが浮き彫りになった感じです。

後述しますが、新日本プロレスの横取り侵略が始まっていたとは言え、当時はまだカルガリールートがつながっており、キース・ハート、ブレット・ハートは招聘可能だったかと思います。

やはり、ジュニアの正統派外国人選手を呼んでおくべきだったと思います。呼べなければ寺西勇を挑戦させた方が良かったですね。

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