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2019年09月17日20:56

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猪木とビンス(529)最終章

国際プロレスと全日本プロレスの「全軍対抗戦」実現の発端はアジア・タッグ王座を巡る攻防からでした。

77年9月9日、全日本プロレス後楽園ホールでグレート小鹿&大熊元司組の極道コンビが天龍源一郎&ロッキー羽田組のハンサム・フレッシュ・コンビを1−1から60分時間切れ引き分けで防衛に成功すると、「次は他団体の挑戦を受ける」と宣言。

これ名乗りを上げたのが国際プロレスの吉原社長で9月16日、記者会見が行われ、アニマル浜口&鶴見五郎組が挑戦者チームとして11月3日、全日本プロレスの後楽園ホールで極道コンビのアジア・タッグ王座に挑むことになりました。

会見には馬場も出席し「挑戦者チームが浜口と鶴見か、鶴見がちょっと軽いな。いずれにしてもウチが楽勝で防衛なのは間違いない」と発言。この馬場の言葉に吉原が激怒。

「鶴見が軽いとは何事だ!浜口&鶴見組はウチが自信を持って送り込むチーム。必ずやベルトを国際プロレスにもたらしてくれるだろう」と反論しています。

11月3日、後楽園ホールでの小鹿&大熊組vs浜口&鶴見組のタイトル戦は、1本目は浜口がエアプレーン・スピンで1本を奪ったものの、2本目鶴見が捕まり、大熊のジャンピング・ヘッドバットの前に敗れ、決勝の3本目は浜口が孤軍奮闘しましたが曲者極道コンビの連係プレーの前に敗れてしまいました。  

セコンドにいたマイティ井上が「今度はウチのリングに来い!」とアピール、3日後の11月6日、国際プロレスの後楽園ホールで小鹿&大熊組にM井上&浜口組が挑戦。  

実質的にはM井上は実績でもグレート草津を抜いて団体のナンバー2であり、ナンバー2がアジア・タッグ獲りに乗り出したことで国際プロレスは後がなくなったのは事実でした。

試合は国際のホームとあって国際応援団の強力な後押しとなり、1−1からM井上が大熊を回転エビ固めに決めて国際プロレスの勝利。ベルトは初の他団体流失となっています。

「極道コンビ敗れる」の報を遠征先の韓国・ソウルで知った馬場はすぐさま国際プロレスとの全軍対抗戦の開催に動き、11月25日、前橋・群馬県スポーツセンターから12月1日、和歌山県立体育館までの6戦で対抗戦を行うと発表。「俺も出る」と対抗戦出場に重い腰を上げました。

全日本プロレスは11月4日、長野・諏訪湖スポーツセンターで「ジャイアント・シリーズ」が閉幕。12月2日、後楽園ホールで「世界オープン・タッグ選手権」が開幕するまでオフであり、会場を押さえることが出来ず、国際プロレスの「ダイナマイト・シリーズ」の最後の1週間を対抗戦に振替。全6大会を3大会ずつ主催することになりました。

11月25日の前橋は日本テレビが収録、11月30日、静岡駿府会館は東京12チャンネルが収録、また、対抗戦以外のカード用に全日本プロレスからは世界オープン・タッグ選手権に参戦予定のビル・ロビンソン、ジム・デュランが前乗りして参戦。国際プロレスからはキラー・ブルックス、キューバン・アサシン1号が残留しました。(外国人選手はそれぞれ招聘した団体所属の日本人レスラーと対戦) 

対抗戦は勝ち2点、時間切れ引き分け1点、負け、両者リングアウト0点のPWFルールで得点が加算され、団体としての勝敗を争う形式となりました。
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