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2019年09月05日22:54

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猪木とビンス(517)最終章

国際プロレスと東京12チャンネルの契約は年間52週のうち、30週を「国際プロレスアワー」として放送。残る週は「ファイティング・アワー」として主に後楽園ホールからプロボクシング中継、日本タイトル戦、東洋タイトル(東洋・太平洋統合前)戦クラスの試合が放送されています。龍反町の試合が何度か放送されたのを見たことがあります。

そんなところからテレビ局からの放映権料もTBS時代と比べて大幅に下がり、74年11月の「ワールド・チャンピオン・シリーズ」はバーン・ガニア、ビル・ロビンソン、ニック・ボックウィンクル、レイ・スチーブンスという超大物をまとめて呼んで見せましたが、75年1月6日、後楽園ホールで開幕した「新春パイオニア・シリーズ」には男子外国人選手はダニー・リンチ、ブッチャー・リンチ、ボビー・スローター(サージェント)、ボブ・オートン(シニア)の4人のみ参加で(女子はスーザン・グリーン、ポーラ・ケイが参加)、これまでとは一枚も二枚も落ちるメンバーとなりました。

前年国際プロレスを離脱したストロング小林は2度に亘る猪木戦で敗戦を喫し、「内側から猪木を研究したい」として75年1月7日、長野市民体育館から新日本プロレスの「新春黄金シリーズ」にフリーとして参戦。以降2シリーズを経て、同年5月30日付で正式入団します。取締役としてのポストも用意されていました。いわば「規定路線」と言えます。

IWA世界ヘビー級王者マイティ井上は2月2日、後楽園ホールでDリンチを2−1破り3度目の防衛を果たしますが、4月10日、足立区体育館で強豪マッドドッグ・バションに2−1で敗れ王座から転落。

「ダイナマイト・シリーズ」最終戦の4月19日、札幌中島スポーツセンター(観衆3,000人発表)で金網デスマッチでラッシャー木村が挑戦。7分25秒、逆エビ固めでバションを破りベルト海外流失を阻止。第11代王者となり、国際プロレスに「木村時代」が到来しました。

M井上は半年間の短期政権に終わっています。

国際プロレスはガニアに支払う多額の外国人ブッキング料に頭を痛めており、吉原は前74年3月、カナダ・カルガリーで交通事故に遭い右足切断という重傷を負い選手生命をも断たれた大剛鉄之介をカルガリーのプロモーター、スチュ・ハートに頼んで外国人ブッカーの勉強をさせており、コスト削減の意味から外国人ルートを大剛に変更しました。 

怒ったガニアは国際プロレスにAWAと大剛の二者択一を迫りましたが、シビアなガニア商法には当時の国際プロレスの資金力では対応出来ず、また、交通事故で右足を失った大剛に収入の道筋を作ってあげなくてはならなかった為、75年5月の「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」にキラー・トーア・カマタがエース格として初来日しています。

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