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2019年08月22日21:14

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猪木とビンス(504)最終章

72年3月26日、札幌中島スポーツセンターで開幕した「第4回IWAワールド・シリーズ」は前年度優勝者のモンスター・ロシモフの他、AWAとの提携路線に乗り、ドン・レオ・ジョナサン、バロン・フォン・ラシク、ホースト・ホフマン、ジョージ・ゴーディエンコ、レイ・ゴールデン・アポロン、イワン・バイテン、ティト・コパ、アリババ・マルスターニと言った国際プロレス史上最高の外国人メンバーを集めました。

日本プロレスのワールド・リーグ戦に見劣りしないどころか、これを凌駕するメンバーであったことは間違いないと思います。

この年はABCD(Dは敗者復活ブロック)の4ブロックに分けたブロック別総当たりリーグ戦形式を採用。決勝トーナメントではジョナサンを破ったストロング小林とラシクを破ったロシモフが5月6日、盛岡・岩手県営体育館で優勝決定戦を行い、1−1からリングアウト勝ちを拾ったS小林が初優勝。第4回にして初めて日本人選手が大会を制しました。

この年3月6日に猪木の新日本プロレスが大田区体育館で旗揚げ興行を行い、猪木がカール・ゴッチに15分10秒、体固めで敗れています。また、70年1月に国際プロレスで引退した豊登が開幕戦に駆け付け、「テレビ放送がつくまで」と言う約束でリング復帰を果たしました。

新日本プロレスは旗揚げ戦こそ5,000人、超満員発表の観客を動員したものの、その後の地方巡業では、外国人選手にネームバリューがなかったのと日本人メンバーが猪木以外は弱体(豊登もピークを過ぎたロートルの評価だった)であり、何よりテレビ放送がなかったのが痛く、CS放送や配信のない時代ですから観客動員は苦戦が続きました。

S小林はワールド・シリーズ優勝後もラシク、前王者ビル・ミラー、最強の挑戦者であり初代王者のビル・ロビンソンの挑戦を退け、防衛記録を14に伸ばしていきます。

日本プロレスは69年7月からNET(テレビ朝日)による民放2局放映になっていましたが、既存局である日本テレビに対し’肋譴了邱膈∈筝征二の試合ワールド・リーグ戦の公式戦、は放送させないと約束し、渋る日本テレビを説得。

このうち↓はなし崩し的に反故にされましたが馬場の試合だけは日本テレビは頑として放送をすることを許しませんでした。

NETのエースは必然的に猪木になる訳で、猪木の日本プロレス除名で猪木の試合が放送出来なくなると、日本プロレスに馬場の試合を放送させろと強く要求。

日本プロレスでは役員会で馬場の試合をNETで放送させることを決定、4月3日、新潟市体育館での中継(馬場&坂口組vsディック・マードック&マイティ・ブルータス組)からついに馬場がNETの画面に登場。

これに激怒した日本テレビは5月12日、東京体育館での第14回ワールド・リーグ戦の優勝決定戦(馬場がゴリラ・モンスーンを破り優勝)を最後に、日本プロレスの放送を打ち切ってしまいました。

7月29日、馬場が日本プロレスからの独立を発表、すでに日本テレビからのバックアップを得て新団体を起こすことが噂されていました。

この日は前日28日後楽園ホールで開幕した「第2次サマー・シリーズ」の翌日で30日の福岡スポーツセンターから九州、奄美諸島を回るツアーがありましたが馬場は「興行を買ってくれたプロモーターに迷惑はかけられない」とシリーズ最終戦の8月18日、石巻市総合グラウンドまで試合に出場しました。

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