mixiユーザー(id:21258650)

2019年08月15日22:33

604 view

猪木とビンス(497)最終章

国際プロレスはTBS体制の元、68年1月3日の日大講堂から再スタートを切りましたが、この開催を知った日本プロレスが当日、蔵前国技館大会をぶつけて来ました。いわゆる「隅田川決戦」というやつで、隅田川を挟んで歩いて行ける距離にある日大講堂と蔵前国技館で興行戦争となりました。

日本プロレスの蔵前国技館は馬場vsクラッシャー・リソワスキーのインターナショナル選手権試合、大木金太郎&吉村道明組vsビル・ミラー&リッキー・ハンター組のアジア・タッグ選手権試合を開催。猪木はケン・ホリスとのシングルマッチで午後1時開始。

国際プロレスの日大講堂はルー・テーズにグレート草津が挑戦したTWWA世界ヘビー級選手権試合がメインで午後5時30分試合開始。

厳密に言うと、75年12月11日、新日本プロレスの蔵前国技館(猪木vsビル・ロビンソンのNWF世界ヘビー級選手権試合)と全日本プロレス、国際プロレス、日本プロレス(名前だけ)合同の日本武道館(力道山13回忌追善記念興行)、翌76年12月9日、新日本プロレスの蔵前国技館(猪木vsウィリエム・ルスカの格闘技世界一決定戦)と全日本プロレスの日大講堂(大木&キム・ドク組vs馬場&鶴田組のインターナショナル・タッグ選手権試合、ロビンソンvsアブドーラ・ザ・ブッチャー)の「同日同時刻興行」ではありません。

51年前にどのくらいそんな強者の客がいたかは不明ですが、会場も近いのでハシゴ観戦も十分に可能。

しかし、日本プロレスは日本テレビが同日午後5時より当日ディレイ放送。国際プロレスは午後7時より生放送で、家庭用ビデオデッキが普及する遙か以前の話ですので、日本プロレスをテレビ観戦する人は国際プロレスは見に行くことは難しい人が大半で、国際プロレスに出向く観客の出鼻を挫くことには成功しています。

国際プロレスのメインイベント、テーズvs草津のTWWA世界戦。ラクビー日本代表から65年に日本プロレス入り、66年吉原功代表に誘われ国際プロレスヘ移籍。明日のメインイベンターとして海外修行を経ての凱旋帰国。国際プロレスのエース候補だったことは間違いありません。67年の暮に凱旋帰国した草津が東京国際空港で偶然、ハワイにバケーションに行く馬場とバッタリ会い、

「馬場さんは日本プロレスのエース、僕は国際プロレスのエース、エース同士、お互い頑張りましょう」と言って馬場の逆鱗に触れたという話もあります。

67年の年末に行われたTBSプロレスの放送開始記者会見で森忠大運動部長は「我がTBSの力を持ってすればスターは一夜にして、いや、分単位、秒単位で作り上げて見せる」と豪語。これがテーズ、ブッカーであるグレート東郷の耳に入ったかどうかは定かではないですが、60分3本勝負の1本目、テーズのバックドロップで草津が体固めでフォールを奪われ、2本目は草津が失神して起き上がれず試合放棄。2−0でテーズが完勝防衛を旗しました。

隅田川決戦は昼の日本プロレスの蔵前国技館が観衆10,000人(超満員発表)、午後5時からの日本テレビの中継視聴率は36.3%、夜の国際プロレスの日大講堂が観衆6,300人発表でしたが実際は3,000人前後と言われていますが、午後7時からのTBSの生中継の視聴率は32.3と大健闘し、視聴率は「合格」でした。
4 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年08月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

最近の日記