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2019年07月14日22:09

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猪木とビンス(465)最終章

85年3月31日、ニューヨークMSGで行われたプロレスの祭典「レッスルマニア」記念すべき第1回大会、メインイベントはハルク・ホーガン&ミスターT組(Withジミー・スヌーカ)vsロディ・パイパー&ポール・オーンドーフ組(Withカウボーイ・ボブ・オートン)。特別レフェリーはモハメド・アリ。

試合は双方のセコンドが入り乱れての乱闘。オーンドーフがミスターTを羽交い絞め、オートンがフォアアームを決めようとしましたが、ホーガンがこれをカット、オートンのフォアアームはオーンドーフを直撃。

ホーガンがオーンドーフを体固めに押さえ込んでレフェリーのアリはカウント3を入れてホーガン&ミスターT組の勝利。

WWF世界女子王座戦、王者ウェンディ・リヒターには実力者レイ・ラニ・カイが挑戦。リヒターのセコンドにはシンディ・ローパーが登場。

ラニ・カイは75年11月に国際プロレス女子部に初来日。ガッチリとした体格で期待されましたが、キャリア不足から本領発揮には至らず。  

83年に全日本女子プロレスに来日し長与千種を破ってオールパシフィック王座を獲得。長与のキック、スープレックス、サブミッションを中心としたUスタイルにも十分適応出来る選手に成長しておりました。

ちなみにラニ・カイは全女に来た時は「ハワイの偉大なチャンピオン」と志生野温夫アナウンサーに紹介されていましたが、実際はハワイアン・ギミックを使っていただけでハワイ出身ではないそうです。ラニ・カイの夫は73年7月に全日本プロレスに素顔で76年4月にマスクマン、ジ・アンダーテーカーとして国際プロレスに来日したハンス・シュローダーです。

リヒターも80年に全日本女子プロレスに初来日し"ザ・ダラスカウガール"のキャッチフレーズで「女版スタン・ハンセン」と呼ばれデラックスプロレスがプッシュしていました。リヒターの夫は84年7月に全日本プロレスに初来日したヒューゴ・サビノビッチでした。(後に離婚)

試合はリヒターがラニ・カイを降して王座防衛に成功しています。

アンドレ・ザ・ジャイアントvsビッグ・ジョン・スタッドの賞金15,000ドル争奪ボディスラムマッチはアンドレがスタッドをボディスラムで投げて勝利。

グレッグ・バレンタインのWWFインターコンチネンタル王座にはジャンクヤード・ドッグ(79年4月、国際プロレスにビッグ・ダディ・リヒターのリングネームで1度だけ来日)が挑戦するも、反則勝ちでベルト移動ならず。

ブルーノ・サンマルチノが限定復帰しデビッド・サンマルチノと親子タッグを結成、ブルータス・ビーフケーキ(エド・レスリー)&ジョニー・バリアント組と対戦し反則勝ち。

前84年10月の全日本プロレス参戦後、ノースカロライナ州のクロケット・プロからWWFに移籍したリッキー・"ザ・ドラゴン"スティムボートはマット・ボーンを破り、1月に新日本プロレスに初来日したキングコング・バンディは帰国後WWFと契約。この日SDジョーンズに勝利。ティト・サンタナはジ・エクスキューショナーを降しています。
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