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2019年06月29日22:06

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猪木とビンス(450)最終章

85年新春黄金シリーズ最終戦、2月6日、大阪府立体育会館大会(テレビ収録、観衆5,841人発表)。

この日が最終戦でしたが、実は当初新日本プロレスでは84年の暮に「2月7日、東京・両国国技館」を日程に載せていました。当時「週刊ビッグレスラー」には掲載されましたが、新日本プロレス側からは正式なリリースがないまま立ち消えになっています。

インターネットがない時代ですから「削除」という感覚はないのですが、普通なら強気でイケイケの新日本プロレスが、老朽化の為に前84年9月の大相撲秋場所を最後に閉館した蔵前国技館に代わってこの年の初場所から使用開始された両国国技館のプロレスこけら落としに真っ先に名乗りを上げない訳はないのですが、選手、フロント大量離脱があり、現状では両国国技館を借りても満員に出来る自信はなかったかと思われます。

結局、蔵前国技館(54〜84年)よりも長い歴史になった両国国技館(85年〜現在)のプロレスこけら落としは長州力らジャパンプロレス勢獲得で勢いに乗る全日本プロレスが3月9日に開催することを発表し、新日本プロレスは全日本プロレスに負けてしまいました。

猪木が新日本プロレスを旗揚げしてからの13年、猪木の名勝負と言われた試合の80%位が蔵前国技館のリングで行われており、これは無念だったでしょう。

老朽化と言えば、この大阪府立体育会館も同じく老朽化の為、この年の大相撲春場所を最後に取り壊しが決定。2年後に同地に新しい「府立」がオープンすることとなりました。

プロレス初使用は54年3月の日本プロレスで、新日本プロレスは72年10月10日、猪木vsカール・ゴッチの世界ヘビー級選手権試合(23分12秒、ゴッチが猪木にキーロックをかけた状態でエビ固めに丸め込まれてフォール負け。10月4日、蔵前国技館で獲得したベルトを手放す)が初使用。 

大阪の観客はタイトル戦よりも喧嘩マッチ、遺恨試合を好む傾向にあり、74年6月26日、猪木がタイガー・ジェット・シンの右腕を骨折させる(?)アクシデントや78年9月19日、仲間割れしたシンと上田馬之助が一騎討ちで激突した時は「プロレス興行過去最高の入り」(9,500人発表)と言われました。

全日本プロレスは大阪府立体育会館の集客は新日本プロレスに比べると劣っていましたが、やはりこれは話題作りの巧拙によるもので、派手な話題作りを嫌う馬場の方針では観客動員が苦戦したのはやむを得ないところでした。

全日本プロレスでは1月6日に府立最終興行を先に行っており、長州全日本大阪初参戦が話題を呼んで9,200人(超満員発表)の大観衆を集め、新日本プロレスに対して意地を見せつけています。(メインイベントは鶴田&天龍&石川敬士組vs長州&谷津嘉章&寺西勇組で15分7秒、両軍入り乱れてのノーコンテスト)
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