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2019年06月21日22:39

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猪木とビンス(442)最終章

83年サマー・ファイト・シリーズは猪木が先のIWGP優勝決定戦でハルク・ホーガンのアックスボンバーを喰らって失神KO負け、脳震盪を起こした為にシリーズを全休しています。

アブドーラ・ザ・ブッチャーはIWGPには参加しませんでしたが、これは後に新日本プロレス営業部長だった大塚直樹がその経緯について雑誌等でコメントしています。

「IWGPの次のシリーズはどうしても客足が落ちる、営業サイドとしては地方で知名度のあるブッチャーが必要。私は猪木さんに『ブッチャーをIWGPの次のシリーズに呼んで下さい』とお願いしました。」

大塚の要望が通ってブッチャーは8か月ぶりに来日することになりましたが、それでもシリーズフル参戦ではなく7月1日、後楽園ホールでの開幕戦から21日、小樽市総合体育館までの3週間の特別参加。 

新日本プロレスは日本人同士の抗争の激化とタイガーマスクブームで人気は全国的であり、もはやブッチャーを入れたところでチケットの売れ行きは大勢に影響なしと考えるのが普通ですが、地方興行ではテレビ朝日のネットワークが弱い地域もまだ沢山あり、そこを満員にする為にはブッチャーの名前は必要でした。そこは大塚の判断は正しかったと思います。

このシリーズ、長州力の革命軍が大幅にリニューアルされています。

4月15日、ビッグ・ファイト・シリーズ第2弾福山市体育館で国際軍団のラッシャー木村とアニマル浜口が同士討ちを繰り返した結果、仲間割れ。

5月16日、IWGP津市体育館を長州と浜口が無断欠場。6月17日、港区・南青山の新日本プロレス事務所に長州と浜口が姿を現し、新間寿営業本部長に辞表を提出してフリー宣言、長州と浜口は志を同じくして共闘していくことになりました。

このサマー・ファイト・シリーズでは長州と浜口が革命軍を発展的解消した「維新軍」を名乗り参戦。前82年の「第3回MSGタッグ・リーグ戦」でキラー・カーンとタッグを組んで参戦していたタイガー戸口が7か月ぶりに新日本プロレスのマットに登場し維新軍に参加。革命軍で長州と行動を共にしていた小林邦昭もそのまま維新軍へ。

開幕戦の後楽園ホールのメインイベントで長州&浜口組は藤波&木村健吾組と対戦し9分56秒、両チームリングアウト。

ブッチャーの試合はテレビ生中継の前に組まれ、やはり全日本プロレスからの移籍組である戸口とのシングル戦が組まれ僅か1分4秒、両者フェンスアウト。まさにテレビ放送開始前までの時間調整に使われたみたいでした。

理由は至極簡単で、タイガーマスクの試合を番組の冒頭に持って来れば確実に放送開始直後から視聴率が取れるからでした。

このシリーズには因縁のディック・マードックも参戦。タイミングを逸した感はアリアリでしたが81年11月5日、蔵前国技館で実現しなかったシングルマッチも2度に亘り組まれています。

7月7日、大阪府立体育会館では8分46秒、ノーコンテスト。この結果を受けて組まれた7月14日、札幌中島体育センターでの再戦は7分45秒、ブッチャーの反則勝ち。大阪はテレビ中継されましたが札幌は収録されたものの放送されず。

新日本プロレスはブッチャーをまたしてもマッチメイクで冷遇しています。
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