ホーム > mixiユーザー(id:21258650) > mixiユーザーの日記一覧 > 猪木とビンス(441)最終章

mixiユーザー(id:21258650)

2019年06月20日22:36

66 view

猪木とビンス(441)最終章

83年に入ると前82年10月、藤波に反旗を翻して造反した長州力が暮れにニューヨークへ行き、WWFで活躍していた「心の師」マサ齋藤に共闘を依頼。 

1月1日、後楽園ホールで開幕した「新春黄金シリーズ」にM齋藤と長州が「革命軍」を結成し参戦、タイガーマスクの首狙いに照準を定めた小林邦昭がこれに合流。1月6日の後楽園ホール大会セミファイナル、坂口&キラー・カーン組vsM齋藤&長州組ではKカーンが坂口を裏切り、M齋藤と長州が身体を押さえた坂口にコーナーポスト最上段から訣別のダイビング・ダブルニードロップ。(試合は8分坂口の反則勝ち)

Kカーンも革命軍入りし、新日本プロレスは正規軍、革命軍、国際軍団3軍の闘いに突入。日本人抗争とタイガーマスクの活躍でテレビ朝日ワールドプロレスリングの視聴率は20%台に突入。2月11日放送分の2月7日、蔵前国技館からの録画中継(猪木vs国際軍団2度目の1対3変則タッグマッチ、タイガーマスクvsブラック・タイガーのWWFジュニア・ヘビー級選手権試合を放送)では25.9%を記録しました。

日本テレビ「太陽にほえろ!」、TBS「三年B組金八先生」を向こうに回してのこの数字は高く評価され新日本プロレスにブームが到来。

以前書きましたが猪木がテレ朝とフジテレビの民放2局放映を狙ってUWFに参戦しようとしたのはこの時のブームの視聴率の数字が根拠になっていたところは間違いないかと思われます。

さて構想発表から2年過ぎたIWGPは当初、世界6ゾーン(アメリカ、日本、北米=カナダ、ヨーロッパ、メキシコ、中近東)で決勝リーグ戦を行い、82年秋にニューヨークMSGで決勝が争われるという壮大なるプランでしたが、

流石に新日本プロレスが主催してのツアーで世界を回るのは無理な話で、実行委員のプロモーター達に興行を買ってもらって開催する他なかったと思いますが、新日本プロレスの興行を買っている国内プロモーター達が一斉に「商売になるIWGPを海外で開催するのは我々国内プロモーターに対する裏切り、全大会を日本で開催してもらいたい」という強い要望を新日本プロレス側に申入れ。

83年5月6日、福岡スポーツセンターから6月2日、蔵前国技館まで全28戦。1日のオフもない強行スケジュールで開催が決定しましたが、参加外国人選手はアンドレ・ザ・ジャイアント、ハルク・ホーガン、ビッグ・ジョン・スタッド、オットー・ワンツ、カネック、エンリケ・ベラと従来のMSGシリーズと変わらないどころか史上最高のメンバーを集めたとされる80年の第3回MSGシリーズよりも劣るメンバーとなってしまいました。

これは構想発表から開催まで勿体をつけて2年5か月もの歳月を要してしまったことと、スタン・ハンセン、タイガー・ジェット・シン、ローラン・ボックが不参加だったことによる影響が大きいと思います。

優勝決定戦は6月2日、蔵前国技館で行われ、猪木がホーガンのアックスボンバーにより失神KO負け。

アブドーラ・ザ・ブッチャーはIWGPの次の「サマー・ファイト・シリーズ」に8か月ぶりに参戦しました。
4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを投稿する

忍者モード登場!