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2019年06月15日21:24

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猪木とビンス(436)最終章

観客席からはディック・マードックとアブドーラ・ザ・ブッチャーのシングル戦を希望する大「マードックコール」が沸き上がりましたが、ブッチャーは何を仕掛けて来るかわからないマードックとの一騎打ちを避けてディノ・ブラボーを指名しました。

超満員13,000人の大観衆からは落胆と不満の声が上がりましたがそれを打ち消すかのようにブッチャーがブラボーに襲いかかり試合開始。ブッチャーは五寸釘とフォークでブラボーを血ダルマにし4分3秒、反則負け。

試合はブッチャー優勢でしたがやはり強者マードックから「逃げた」印象は払拭出来ず、ブッチャーの商品価値は落ちたと言わざるを得ませんでした。 

スタン・ハンセンが全日本へ移籍した後の82年1月8日、後楽園ホールで開幕の「新春黄金シリーズ」に3度目のシリーズ参戦を果たしたブッチャーは開幕戦ではバッドニュース・アレン&ベビー・フェイスと組んで猪木&藤波&タイガーマスク組と対戦、(試合は2−0で日本組の勝ち)タイガーマスクとの夢の初対決が実現します。

猪木とのシングルマッチも1月28日、東京体育館で移籍表明から約6か月弱かかりようやく実現しました。しかし、その1週間後の2月4日、同所で馬場vsハンセンの初シングル対決が控えていた事からか興行的にも9,000人発表と満員とは成らず。

猪木とブッチャーは日本プロレス時代に何度か対戦しており第13回ワールド・リーグ戦ではシングルでも対戦していますがシングルでは11年ぶりの対戦と「寝かせて」あったカードでした。

しかしそれでも満員とならなかったのは新日本プロレス移籍後、タッグマッチで何回もテレビ生中継であたっており、既にこの時点で新鮮味はなくなっていたこと、また、猪木のスピードで相手を撹乱していくファイトとブッチャーの間合いを重視する「静」のプロレスが噛み合わないということが観客にもわかっていたのが要因だったと考えます。

試合は猪木の延髄斬り3発でブッチャーの動きが止まってしまい、セコンドにいたアレンがブッチャーを救援に入り、さらに猪木に挑戦表明をしていた士道館空手のハシム・モハメド(猪木と対戦できるレベルには非ず対戦は実現せず)も入ってきて14分52秒、猪木の反則勝ちとなりました。 

ですが大半の見方が「ブッチャーは猪木の3連続延髄斬りで完全にKOされていた。反則だが猪木の完勝」という評価であり、ブッチャー得意のフォーク攻撃による流血もなくブッチャーは全くいいところはありませんでした。

ブッチャーが本当に延髄斬り3発でKO状態だったかと言うと必ずしもそうとも言えず、ダウンしたところを不用意に近づいて来たり猪木に地獄突きなどで反撃するだけの体力は残っていたと思いますが、あれ以上の試合続行は新日本プロレスのリングでは無理だったかも知れません。

「鉄は熱いうちに打て」ではないですが、ハンセンを引き抜いてからすぐに自分とのシングルマッチを組んだ馬場の方がマッチメーカーとしては遙かに上手でした。

ブッチャーを引き抜いてからの最初のシリーズ最終戦、81年8月6日、蔵前国技館で直ぐに猪木vsブッチャーをやっていれば…とは思いますがこの時はローラン・ボック、マスクド・スーパースターと陣容が豊富であり、直ぐにやらずとも良いと考えたところに誤算があったと考えます。

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