一方、新日本プロレスから派生した第3団体UWFはフジテレビの放送中止で最初から大きな躓きを見せましたが、84年4月11日、大宮スケートセンターから17日、蔵前国技館までの日程でオープニング・シリーズを開催。
シリーズ最終戦の蔵前では前田日明に新日本プロレスから「日明を制裁してやる!」と、テロリスト藤原喜明が参戦してシングルマッチを行い、両者フェンスアウトからの再試合で両者KOの引き分けに終わりました。
他に新日本プロレスからは「前田さんとの男の約束を果たす為」と高田伸彦がシリーズ全戦に出場。最終戦の前田vs藤原戦のレフェリーを新日本プロレスのタイガー服部が務めるなど、新日本プロレスがUWFを「容認」していなければ有り得ない話ばかりで、やはりUWFは猪木の思惑によって誕生した団体だった、という憶測を裏付けることになりました。
しかし、旗揚げ戦の大宮は歴史の証人にならんと3,100人(超満員発表)の観客が詰め掛けましたが、以降の萩、下関、岐阜県萩原町などの地方では不入りが続き、最終戦の蔵前は発表こそ9,100人でしたが、空席が目立ち実際は5,000人程度の入りでした。
新間寿顧問は猪木が来ない以上、このままUWFを存続させても赤字が膨らむだけと、旗揚げシリーズ終了後、UWFを消滅させて新日本プロレスに戻すことを画策。
6月17日、後楽園ホールから「オープニング・シリーズ第2弾」を馬場のルートからトミー・リッチ、ジャイアント・キマラ(カマラ)らを招聘して開催する予定でしたが、外国人選手をキャンセルしてシリーズの開催中止を決定しています。
5月8日、京王プラザホテルにおいて新日本プロレスとUWFが合同記者会見を行っています。
新日本プロレスからは坂口副社長、永里高平専務(テレビ朝日から出向)、UWFからは浦田昇社長と新間顧問が出席、立会人として二階堂進日本プロレスリング・コミッショナー代行の佐藤隆衆議院議員が出席。
佐藤コミッショナー代行は「狭い日本のプロレス界に団体が3つもあってはお互いに大変だろう。ここは日本プロレス界発展の為、小異を捨てて大同団結してもらいたい」とコメント。
おそらくこれは新間の描いた「コミッショナー裁定による合併調停案」でしょう。
坂口副社長も「コミッショナー裁定とあればここは前向きに検討したい」と発言。新間と猪木、坂口とはUWFを新日本プロレスが吸収合併することで話はついていたと思います。
しかし、ここで浦田社長が待ったをかけました。「一部ではウチが新日本に吸収合併されるなどという報道もあるようだが、それは少し違う。勿論、協調すべきところは手を組んでやっていくが直ぐに合併するということはない」と発言。
浦田社長の一言で事態は白紙に。元々浦田社長は吸収合併には同意しておらず、まとまりがつかない会見となってしまいました。
新間顧問は5月21日に記者会見を開いて「猪木をUWFに連れて来ることが出来なかった」ことに対する責任を取ってUWFからの退陣を表明。
猪木によってUWFへ送り込まれた前田日明以下、重鎮ラッシャー木村、剛竜馬、馬場から全日本プロレスをリストラされてUWF行きとなったマッハ隼人はこの後行われたハワイ合宿で一致団結。新間を恩人と仰ぐグラン浜田だけはUWFを去りましたが、残った選手は浦田社長をトップに自分達の意思で新日本には戻らず、UWFとして団体を存続していくことにしたのです。
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