AWA世界ヘビー級王者、鶴田の北米サーキット第2弾も残すところ後2つ。
84年5月11日はウィスコンシン州ミルウォーキー・オーデトリアム(観衆3,500人発表)大会。
鶴田のベルトに挑むは黒い猛牛、ブラックジャック・マリガン。ブラックジャックスの片割れであるブラックジャック・ランザの挑戦は3月4日、イリノイ州シカゴ・ローズモント・ホライズンで退けている鶴田ですが、ランザよりもさらに大きくてパワーのある2メートルのマリガンはさらにやりにくい相手でした。
マリガンは日本では70年11月、国際プロレスにボブ・ウィンダムのリングネームで初来日、先日亡くなったラリー・ヘニングとのコンビでIWA世界タッグ王座を獲得。
その後、ブラックジャック・マリガンに改名し、ランザとのブラックジャックスでAWA世界、WWWFの両団体のタッグ王座を獲得しています。
全日本プロレスのリングには74年10月のジャイアント・シリーズ第2弾に従兄弟であるディック・マードック、親戚にあたるキラー・ブルックスらと来日。
鶴田とシングルでの対戦はありませんでしたが11月7日、沼津市民体育館で馬場のPWFヘビー級王座に挑戦して2−0のストレート負け。大味な試合ぶりが馬場に認められなかったか?全日本に次に呼ばれることはありませんでした。
その後はWWWFに定着。そのルートから77年8月には新日本プロレスの闘魂シリーズに来日、日本プロレスを除く国際、新日本、全日本の昭和3団体に来日しました。
新日本プロレスでは当初エースと目されながらも同じシリーズに来ていたスタン・ハンセンにエースの座を奪われ、仲間割れ。
WWFではアンドレ・ザ・ジャイアントとの抗争でMSGの観客をヒートさせるマリガンも日本では本領発揮に至らず。83年1月の新日本プロレスへの再来日ではハルク・ホーガンのかませ犬的な役割に甘んじました。
鶴田とはシングル初対決となるマリガンはブレーンクローでジワジワと追い込んでいきましたが攻め切れず試合は両者場外乱闘へ。鶴田はマリガンの頭部を本部席の机に叩きつけるとリングに駆け上がり、13分15秒、リングアウト勝ち。マリガンはカウント20でリング内に戻れず。鶴田が16度目の防衛を果たしました。
セミファイナルでは地元ミルウォーキー出身、ミルウォーキー産のビールが何より大好物であるクラッシャー・リソワスキーがアラビア軍のプレーイング・マネージャー、シーク・アドナン・アル・ケーシーを5分13秒、体固めで圧勝。
スティーブ・カーン&スタン(スタンリー)・レーン組のザ・ファビュラス・ワンズはジェシー・ベンチュラ、スティーブ・リーガル組と対戦、レーンがリーガルを11分12秒、回転エビ固めで降してファビュラス・ワンズの勝利。
前日、30分時間切れ引き分けとなったカート・ヘニングとラリー・ズビスコが再戦し9分53秒、首固めでカートが辛勝。
ビル・ロビンソンはトーマス・ストーン(85年2月、全日本プロレスにT・Gストーンとして初来日)を破り、女子プロレスではベルベット・マッキンタイヤー、プリンセス・ビクトリア組がデスピナ・マンタガス、レイ・ラニ・カイ組から勝利を奪いました。
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