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2018年12月22日17:59

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ジャンボ鶴田怪物伝説(439)

鶴田、過酷なるサーキット、AWA世界ヘビー級王者としての2度目の北米ツアー第8戦は84年5月7日、カナダへ移動してのケベック州モントリオール・ポール・サウべアリーナ(観衆3,500人発表)大会。

ポール・サウべ・アリーナと言えばこれより遡ること9年前、75年5月19日、タイガー・ジェット・シンにNWF世界ヘビー級王座を奪われた猪木がシンを追いかけて挑戦した会場として知られ、猪木がスコアの上で2−1で勝ちながらも、3本目反則勝ちによりベルト移動はなく、無念の帰国となりました。(同年6月26日、蔵前国技館で猪木が勝利し王座奪回)

この日鶴田は執拗にベルト奪回を狙うニック・ボックウィンクルの挑戦を受けました。

試合はニックが鶴田を得意の足4の字固めに捉え、グイグイと絞り上げました。あわやギブアップかと思いきや、鶴田は身体をにじり寄ってロープエスケープ。

しかしエキサイトしたニックは足4の字固めを解かず。これまで鶴田に受けた屈辱の数々を晴らさんと、レフェリーの警告を無視して絞め上げていきます。レフェリーが試合終了のゴングを要請、17分2秒、鶴田の反則勝ちが宣告され、14度目の防衛に成功しています。

新日本プロレスのIWGP参加の為、ツアーを離れたミスター・サイトー(マサ齋藤)、ケン・パテラに代わり、IWGPにカナダ代表としてリストアップされていながら来日をキャンセルしたリック・マーテルがセミファイナルに登場。

前83年のIWGPにカナダ代表として来日、開幕戦前夜のレセプションには参加しましたが「自宅に強盗が入った」という報を受けて1試合も行わずに帰国したディノ・ブラボー(代打にはラッシャー木村が参加)とタッグを組んで当時、新日本プロレスに出場していたアブドーラ・ザ・ブッチャー、ジェリー(クラッシャー)・ブラックウェル組と対戦。

16分43秒、マーテルがブッチャーをリングアウトで破っています。

セミ前にはマッドドッグ・レフーブル、フレンチ・マーチン(75年11月、リック・マーテルの実兄マイク・マーテルとのザ・コンバット・フレンチブラザーズとして初来日、79年4月と81年1月にはマッドドッグ・マーチンのリングネームで全日本プロレスに来日)、リック・バレンタイン組vsジノ・ブリット(WWFインターナショナル・ヘビー級王者として82年8月30日、ニューヨークMSGで藤波に敗れベルトを奪われた)、トニー・パリシー(アントニオ・プグリシーとして67年3月日本プロレス、73年3月全日本プロレスに来日、パリシーとして83年3月新日本プロレスに来日)、レイモンド・ルージョー(75年8月に新日本プロレスに来日)組の6人タッグマッチが組まれ、22分7秒、Fマーチンがパリシーを体固めでフォールしています。

レオ・バーク(76年11月全日本プロレスに来日、79年1月、国際プロレスにマスクマンのジ・アトミックとして来日)はリチャード・シャーランド(76年9月、国際プロレスにマスクマンのザ・テンペストとして来日)を15分2秒、体固めで破り勝利。

全日本プロレスからアメリカ、カナダ修行に出たプリンス・トンガがキング・トンガのリングネームで出場、レジー・ラオーネを4分26秒、体固めで破っています。

この大会はディノ・ブラボー、ジノ・ブリットがプロモーターを務めるインターナショナル・レスリングの興行にAWAが選手を貸し出したものでした。

後に書きますが、この日の大会に出ているフレンチ・マーチン(マーテル)、レオ・バーク、リチャード・シャーランドはこの年UWFのリングに参戦しています。いずれも国際プロレス参加経験者で新間寿の退陣により馬場の外国人招聘ルートを失ったUWFのラッシャー木村と剛竜馬がカナダに渡りモントリオール含むマリタイム地区の外国人レスラーを招聘したものでした。(カルガリーを新日本プロレスに押さえられていた為)
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