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2018年12月21日15:24

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ジャンボ鶴田怪物伝説(438)

鶴田AWA世界ヘビー級王座防衛ロード、北米サーキット、鶴田包囲網、デンバー大会の翌日は84年5月5日、イリノイ州ロックフォード・ボイラン・ハイスクール(観衆4,200人発表)大会。おそらく、高校の体育館かと思われます。

鶴田はこの日、人間風車ビル・ロビンソンの挑戦を受けての防衛戦。ロビンソンの鶴田のAWA世界王座挑戦は前回の遠征の3月11日、ウィスコンシン州グリーンベイ・ブラウン・カウンティ・アリーナ以来2度目。

日本では何回もUNヘビー級王座を賭けて60分フルタイムの死闘を展開し、手の内を知り尽くしているロビンソンだけに油断大敵と言えましたが、45歳となり衰えが見えて来ているロビンソンを鶴田は25分10秒、ドロップキックからバックドロップの殺人フルコースで体固めで撃破。久しぶりのピンフォール勝ちにより12度目の防衛に成功しています。

セミファイナルは観客の憎悪を一手に募らせたアラビアン・ギミックコンビ、ケン・パテラ、ジェリー(クラッシャー)・ブラックウェル組がレジェンド軍、クラッシャー・リソワスキー、バロン・フォン・ラシク組と対戦。

12分50秒、アラビア軍のマネージャー、シーク・アドナン・アル・ケーシーがレフェリーのブラインドを突いての介入でパテラがラシクから体固めで勝利を奪いました。

実力者ブラッド・レイガンズはラリー・ズビスコを8分29秒、サイド・スープレックスからの体固めで撃破、カート・ヘニングはスティーブ・リーガルを6分58秒、片エビ固めに降しています。

第1試合では前日に続き女子プロレスの試合が組まれ、ベルベット・マッキンタイヤー、プリンセス・ビクトリア組がデスピナ・マンタガス、レイ・ラニ・カイ組を破っています。

翌5月6日は先程書いたウィスコンシン州グリーンベイ・ブラウン・カウンティ・アリーナ(観衆8,000人発表)大会。

78年11月の猪木の欧州世界選手権シリーズも過酷なサーキットも1日のオフもなく大変過酷なツアーでしたが、この鶴田の2度目の北米サーキットもなかなかどうして過酷なスケジュール。しかも連日に亘るタイトルマッチ、世界王者の宿命か!?

グリーンベイでは王座返り咲きを狙って執拗に鶴田の首を付け狙う前王者ニック・ボックウィンクルがまたも挑戦。

試合はニックが得意の足4の字固め狙いにいこうと前半から鶴田の足にポイントを絞って攻撃。鶴田の左足をサードロープに乗せて固定しておいてからロープのリバウンドを利してのヒップドロップ。

1発、2発、鶴田の顔が苦痛に歪みます。何回目かのヒップドロップにいこうとロープ際でジャンプしたニック、鶴田はここを見逃さず、着地しようとしたニックの尻を右足でポーンと蹴飛ばしました。

勢い余ってトップロープ越しに場外へ転落したニック。しかし、レフェリーがこれを反則と取り、21分37秒、鶴田のオーバー・ザ・トップロープで反則負け。ルールによりタイトルは移動せず、鶴田は13度目のタイトル防衛を果たしました。

セミファイナルはケン・パテラ、ジェリー(クラッシャー)・ブラックウェル組の保持するAWA世界タッグ王座にレジェンド軍のクラッシャー・リソワスキー、バロン・フォン・ラシク組が挑戦。

前日の同一カードによる前哨戦ではアラビアンコンビの反則の前にラシクがパテラにフォール負けしており、レジェンド軍不利を思わせましたが、またしても乱入したマネージャーのケーシーとパテラが同士討ち。

15分17秒、ラシクがパテラから体固めでフォール勝ち、リベンジ成功、リソワスキー、ラシク組が王座獲得。リソワスキーは56歳、ラシクは44歳での新チャンピオンとなりました。

敗れたパテラは5月11日、福岡スポーツセンターで開幕するIWGPに参戦の為、ツアーを離れ日本へ。

ブラッド・レイガンズはスティーブ・リーガルを14分38秒、サイド・スープレックスからの体固めで破り、前日、ベルト奪取に失敗したビル・ロビンソンはラリー・ズビスコを6分32秒、ワンハンド・バックブリーカーから体固めで勝利し実力の差を見せつけました。

この日も第1試合で女子プロレスの試合が組まれ、ベルベット・マッキンタイヤー、プリンセス・ビクトリア組にザ・ダラス・カウガールとして80年に全日本女子プロレスに初来日しその後も度々来日し人気を集めたウェンディ・リヒター、ドナ・クリスチャンリー(75年5月に国際プロレス女子部に来日したドナ・クリスティーヌと同一人物)組と対戦。

18分14秒、マッキンタイヤーがクリスチャンリーを体固めで降しています。

リヒターはこの後、WWFに引き抜かれ、7月23日にはニューヨークのMSGに登場、ファビュラス・ムーラを破り復活WWF世界女子王者となります。この時リヒターのセコンドにはミュージシャンのシンディ・ローパーがセコンドに付き、翌85年に行われるレッスルマニアへの大きな布石となりました。
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