日本人初のAWA世界ヘビー級王者、鶴田の北米サーキット、防衛ロード第2弾、AWAの帝王バーン・ガニアは至宝のベルトをホームリングに戻すべく、連日に亘り鶴田の防衛戦を組んでいきました。
5月4日はコロラド州デンバー・ミニュシバル・オーデトリアム(観衆4,800人満員発表)大会。
鶴田はここでも前王者ニック・ボックウィンクルの5度目のリターンマッチを受けました。
試合はニックが鶴田にコブラツイスト、これをコブラに切り返す鶴田、コブラツイストの応酬からロープ際へ。
鶴田はコブラツイストをかけられた状態でニックの身体をトップロープ越しに投げ、15分1秒、オーバー・ザ・トップロープによる反則負け。またしても反則負け防衛となりましたがルールに守られて11度目の王座防衛。
初回の北米サーキットが全てフォール勝ちであった為、日本のファンからするといささかガッカリな面もありますが、やはりアウェイのリングであり、短いスパンでの防衛戦の連続ともなると、先ずは王座防衛が最優先事項であり、致し方ない部分もあったと思います。
セミファイナルはレジェンド軍、クラッシャー・リソワスキー、バロン・フォン・ラシク組vsジェリー(クラッシャー)・ブラックウェル、シーク・アドナン・アル・ケーシー組。
老いてなお盛んな元気一杯のリソワスキーがアラブ軍のプレーイング・マネージャー、ケーシーを14分47秒、体固めに降し、リソワスキー、ラシク組の勝利。
ビル・ロビンソンはラリー・ズビスコと20分時間切れ引き分け。
カート・ヘニングはスティーブ・リーガルと対戦し7分11秒、首固めで丸め込んでの快勝。
第1試合では女子プロレスの試合が組まれ、ベビーフェイスのベルベット・マッキンタイヤー(全日本女子プロレスに来日)、プリンセス・ビクトリア組がヒールのデスピナ・マンタガス(後のターザン後藤元夫人)、レイ・ラニ・カイ(75年国際プロレス女子部に初来日、その後全日本女子プロレスに来日し83年には長与千種とオールパシフィック王座を賭けて対戦し日本スタイルにも十分通用する試合を見せて高い評価を得た。この10年後、94年2月にFMWに来日し工藤めぐみと新設されたインディペンデント・ワールド世界女子王座決定トーナメント決勝を争い敗れたが、この時は年齢的に全盛期を過ぎていた)組を破っています。
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