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2018年03月21日09:42

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(315)

83年8月11日、タイガーマスクが内容証明郵便にて新日本プロレスとの契約解除を通告。引退を発表してファンを驚かせています。

8月25日に港区南青山の新日本プロレス事務所で臨時取締役会が行われ、新日本プロレスの運転資金が猪木のブラジルでの個人事業であるアントンハイセルに流用されているのではないか?という疑義があると猪木、坂口、新間の退陣が要求されました。

退陣を要求したのは山本小鉄、テレビ朝日から出向していた大塚博美、望月正治らのメンバーで、猪木、坂口らは代表権を失い、新間は謹慎処分の後に退職に追い込まれました。

山本、大塚博、望月のトロイカ体制で新日本プロレスは運営されていくことになりました。

タイガーマスクのいない状態で開幕したブラディ・ファイト・シリーズ8月28日、田園コロシアムで、ラッシャー木村を卍固めに破って復帰を果たした猪木はリング上で「てめぇらの首、かっ切ってやる!」と宣言。

その時は何の意味かわかりませんでしたが社内クーデターに対してのことでした。

10月7日、後楽園ホールで開幕の闘魂シリーズにフロリダ、テキサスで修行していた谷津嘉章が凱旋帰国し維新軍に加入。

谷津はモスクワ五輪レスリング幻の日本代表(東側諸国参加ボイコットの為)で80年10月に新日本プロレス入り。

入団して直ぐにWWFに修行に出され、同年12月29日、ニューヨークMSGでカルロス・ホセ・エストラーダを相手にデビュー戦を行い、ワンダースープレックスで勝利という破格の扱いでした。

81年6月24日、蔵前国技館でダスティ・ローデス、タイガー・ジェット・シンの来日キャンセルにより大幅なカード変更を余儀なくされて1度目の帰国。

帰国第1戦で猪木と組んでスタン・ハンセン、新日本プロレス移籍第1戦となったアブドーラ・ザ・ブッチャー組と対戦。

ハンセン、ブッチャーに何も出来ずに一方的にやられまくり、1本目はハンセンのウェスタン・ラリアットの前にフォール負け。

2本目は日本組の反則勝ち、3本目は猪木がビール瓶を持ち出して外国人組の反則勝ち、2-1でハンセン、ブッチャー組が勝ちましたが、正直2、3本目はあってもなくても一緒でした。

一説には猪木がハンセンとブッチャーに対し、「谷津に対しては一切セールをしなくていい。好きにやれ」と言ったとも言われており、なぶり殺しに近い谷津のやられっぷりがテレビ生中継で全国に流され、とんだ凱旋マッチとなってしまいました。

谷津の親族は猪木に対して強い不信感を抱いたといいます。

その後WWFに戻り、同年11月の第2回MSGタッグ・リーグ戦に長州と組んで出ましたがパッとせず。

82年6月に新日本プロレスに助っ人参戦したヒロ・マツダの仲介でフロリダに遠征し、フロリダからテキサスに転戦、トラ・ヤツのリングネームでヒールとして活躍。

ポッチャリしていた体型も引き締まり、精悍さを増しての3度目の凱旋でした。

谷津はブライアン・ブレアーと帰国第1戦を行い、4分49秒、スクープサーモンからのワンダースープレックスで完勝しています。
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