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2018年03月11日16:58

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(305)

IWA世界タッグ選手権試合が終わった後、再びリング下の横断幕はワールドプロレスリングのものに取り替えられました。

テレビ生中継まではまだ20分近く間がありました。第6試合は長州vs狼男スタン・スタージャックの一騎討ち。

スタージャックと言えば、何と言っても73年12月1日、ペンシルバニア州フィラデルフィアでペドロ・モラレスを破り、WWWFヘビー級王者となり、全米と日本のファンを驚かせたことで知られています。

スタージャックは9日後の12月10日、ニューヨークMSGでブルーノ・サンマルチノに敗れ王座を失います。

71年1月18日、MSGで当時無名だった謎のロシア人、イワン・コロフ(カナダ人のレッド・マックナティー)がサンマルチノを破り王座獲得、2月8日、同所でモラレスに負けてベルトを失った時と同じパターンで、スタージャックはモラレスからサンマルチノにベルトを移動させる為のショートリリーフチャンピオンでした。

これでWWWFは第2次サンマルチノ政権が誕生する訳ですが、第2次サンマルチノ政権は77年4月30日、メリーランド州ボルチモアでスーパースター・ビリー・グラハムに敗れるまで3年5か月間続きましたが、76年4月26日、ニューヨークMSGでスタン・ハンセンに首の骨を折られるアクシデント(第六脛椎骨折)がなければ、まだ安泰だっただろうとする関係者は多数おります。

スタージャックも76年11月22日にMSGで不調のサンマルチノに挑戦し、レフェリーストップ勝ち。12月20日、同所での再戦はシシリアン・ストレッチャーデスマッチ(シチリア島式敗者担架配送マッチ)でサンマルチノにKO負けしています。

コロフ、スタージャックの手法は後の83年12月26日、MSGでアイアン・シークがボブ・バックランドを破りWWFヘビー級王座を獲得。

翌84年1月23日、同所でハルク・ホーガンに敗れ王座転落という時にも使われていて、日本でも78年6月1日、全日本プロレスの秋田市立体育館で馬場がキラー・トーア・カマタに反則負けを喫し、王座設立から5年3か月もの間君臨していた初代PWFヘビー級王座から転落した時に使われています。

国際プロレスから移籍してきたカマタは大仕事をやってのけますが、6月12日、一宮市産業体育館でビル・ロビンソンに敗れ王座転落。ショートリリーフに終わりました。

ショートリリーフチャンピオンのうち、コロフだけは日本でもトップの扱いを受け、日本プロレスでは馬場のインターナショナル王座、国際プロレスではストロング小林のIWA世界ヘビー級王座、新日本プロレスでは猪木のNWFヘビー級王座に挑戦、その肩書きを発揮し活躍しましたが、スタージャック、Iシークに至ってはあまり扱いがいいとは言えませんでした。

スタージャックは74年4月の第1回ワールド・リーグ戦以来4年10か月ぶりの来日で、また当時の現存していた国際、新日本、全日本の昭和男子3団体に全て来日した外国人レスラーの第1号でもあります。

66年11月、豊登、猪木の東京プロレスにも来ていますので4団体制覇になります。(日本プロレスへの来日はなし、後に日本プロレスを含めた昭和4団体制覇外国人レスラーに関しては研究家と言われるマニアックなファン達により色々な文献で書かれている)
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