アントン・ヘーシンクのプロレスラーとしての評価は高いとは言えず、むしろ試合によっては嘲笑が起きる場面もしばしばありました。
しかし、ヘーシンク側にも言い分があるはず。自分から売り込んだインバウンド案件ではなく、エコノミックアニマルと言われた高度経済成長時代の日本の民放から熱烈なオファーを受けてのアウトバウンド案件。(ヘーシンクがプロレスに転向してすぐにオイルショックが発生し、景気は急激に悪化したが…)
既に母国オランダでは国家柔道の委員であり、地元ユトレヒトには「ヘーシンク通り」と命名された公道が存在。
バウンサー(酒場の用心棒)上がりで素行に問題があり、72年ミュンヘン五輪で重量級、無差別級2階級金メダルを獲得したにも関わらず、国の柔道指導者たり得なかったウィリエム・ルスカが、難病に冒され、植物人間と化してしまった妻女の治療費を稼がなければならず、新日本プロレスのリングに上がったのとは背景が異なりました。
教育者、指導者としての道が約束されていたヘーシンクがプロレスに行ったのはやはり高額と推定されるファイトマネーにあったことは言うまでもなく、それは攻められる話ではありません。
つまり「この位の動きが出来れば大丈夫だからやってみない?これだけ出すから」と言われ「その位なら出来る。やりますよ」位の感じだったのではないでしょうか?
プロ野球からの転向である馬場が代表であり、アマレスから転向した鶴田のいる全日本プロレスならヘーシンクの特性も如何なく発揮出来、プロレスの上手さでは世界屈指の馬場、ザ・ファンクスがコーチし、全日本が招聘する一流の外国人選手達が対戦相手として試合を引っ張ってくれれば十分いける、と日本テレビが思ったとしても無理はありません。
とにかく、入れて揉まれればどうにかなる。
しかし、結果的にヘーシンクはどうにもなりませんでした。まず、試合の途中で間が空いてしまう。間が空くとヘーシンクは一旦リング中央まで行き「ヨイショ!」と声かけして手四つを相手に要求し、それまでの試合の流れが一旦、中断してしまいます。
相手もこれが1試合に何回も繰り返されるとどのようにゲームメークしてよいか段々わからなくなってしまいます。タッグマッチならば、そこでパートナーにタッチして流れを変えることは可能ですがシングルだとなかなかそうはいかない。
解説の山田隆氏は「スポーツマンシップに則ったクリーンファイト」とコメントしていますが、実際は試合の組み立てが全くなってなかったと言えます。
プロレスラー生活では1度も3カウントのフォール負けはしたことがなかったヘーシンクですが、柔道で身に付けた関節技等はほとんど出しておらず、決められた自分のやりやすい動き、一面だけしか全日本では出していなかったと言えます。
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