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2017年12月02日23:08

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(230)

78年11月17日、後楽園ホールで行われたプレ日本選手権開幕戦では、テレビ生中継に入る前に、公式戦としてストロング小林vs長州力の一戦が組まれました。

言ってみればランキング戦、もしくは番付入れ換えマッチ。S小林は言わずと知れた元国際プロレスのエースであり、猪木と日本プロレス史に残る名勝負を行っていて、75年5月に新日本プロレスに入団した後は猪木、坂口と並んで「ビッグ3時代到来」とまで言われました。

坂口と組んで北米タッグ王座に君臨していましたが鳴かず飛ばずの低迷状態が続き、この年凱旋帰国した藤波辰巳のドラゴンブームに完全に押されてしまいました。

9月19日、大阪府立体育会館で行われた坂口、S小林組vs藤波、木戸修組のタッグマッチ(ノンタイトル45分3本勝負)では1本目、アトミックドロップに来たところをバックに回られ、13分15秒、逆さ押さえ込みで藤波にクイックながらヘビー級のS小林がフォール負け。

2、3本目はS小林、坂口がそれぞれ木戸から取って2-1で坂口、S小林組が勝ちましたが、S小林は藤波からは直接1本返せずに終わっています。

一方の長州も前77年3月の第4回ワールド・リーグ戦に3年10か月に及ぶアメリカ、ヨーロッパ、カナダ遠征から凱旋帰国、打たれ強さと力強い攻撃は天性のパワーを感じさせましたが如何せん地味な印象は拭えず。タイトル戦線にも絡めず、5月18日、酒田市営体育館でのMSGシリーズで藤波とシングル初対戦を行うも、8分43秒に回転足折り固めに敗れ(これもクイック)、藤波の後塵を拝することになりました。

試合はS小林が長州にバックドロップ。しかし長州は投げられながらもコーナーをキック、両者同体でダウンし一瞬早く起き上がった長州がS小林をフォール。カウント3が入り、14分43秒、体固めで長州の勝利。勝ち点5を真っ先にあげています。

フィニッシュシーンそのものは前77年7月28日、福岡九電記念体育館における長州がマサ齋藤を初シングルで破った時と同じパターンで(12分35秒体固め)、S小林が傷つく負け方ではなかったですが、やはりそこは新日本プロレスのシビアなマッチメークだったと思います。

そのS小林は試合後の談話で「自分の師匠である吉原功国際プロレス社長のプロレス生活25周年に恩返しがしたい。ついては11月25日の蔵前国技館大会に出場したい」と声明しました。

S小林と吉原社長と言えば74年2月の退団の一件から関係は最悪と思われましたが、断絶関係にあったとは言え、ボディビル上がりでレスリングの基礎が出来てなかったS小林にレスリングを叩き込んだのは吉原社長であったことは間違いなく、師弟である事実は不変。

吉原社長からの要請を受け、日本リーグ争覇戦に一度は星野勘太郎、山本小鉄を派遣しようとした新日本プロレスにS小林の申出を却下する理由はなく、むしろ、新日本プロレス側が考えたアングルである可能性が高く、S小林は国際プロレスの日本リーグ争覇戦、11月25日、蔵前国技館大会で4年10か月ぶりに古巣国際のリングに上がることになった訳です。
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