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2017年06月28日07:48

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(74)

マーシャルアーツ、という言葉をプロレスファンが初めて知ることになるのはこの時期でした。

マーシャルアーツの起源ははっきりとはしませんがおそらく70年代中盤に興行として出現したプロ空手、フルコンタクト空手、アメリカ式キックボクシングを総称して呼んで時の如くマーシャル(武道)アーツ(芸術)というところでしょう。

タイの国技ムエタイをアメリカ人の観客が見てもわかりやすいルールと見せ方に特化し、さらに73年に全米公開されて空前のヒット作品となったブルース・リー主演の映画「燃えよドラゴン」の影響でアメリカにもカンフーブームが沸き起こっており、その辺りから興行として成立するようになったかと思われます。

特徴としては足をプロテクトする為に底のあいたフットグラブを着用しており、それ以外はムエタイをモチーフにルール整備されており、「アメリカ人がやるキックボクシング」と言っていいでしょう。

これをヒントに日本流にアレンジして「立ち技最強を決める」と興行的に大成功したのが93年にスタートした正道会館のK1グランプリであると言えます。

この93年11月にはコロラド州においてオクタゴン(八角形)のケージで試合をするUFCの第1回大会が開かれホイス・グレイシーがU系最強外国人と言われたケン・シャムロックを破り優勝。

以降、立ち技に加え関節技が加わったミックスド・マーシャルアーツが形を為していき、UFCは今やWWEに匹敵するビッグビジネスに成長しています。

その根源となったのが猪木の一連の格闘技世界一決定戦シリーズだった訳です。

77年8月2日、日本武道館で猪木と対戦するザ・モンスターマン・エベレット・エディは当時28歳。WKA認定による全米プロ空手世界スーパー・ヘビー級王者。

モハメド・アリのスパーリングパートナーを勤めていたこともありました。

アリ戦終了後、猪木と猪木のマネージャーである新間寿はアリとの再戦を実現すべく、対戦に向けて動いていましたが、モンスターマンは「アリが送り込んだ刺客」と言われました。

当時はインターネットのない時代で動くモンスターマンの映像は見ることは出来ませんでしたが、猪木が持っていたモンスターマンの顔写真は引き締まった表情の精悍な黒人であり、写真だけでも強そうに見えました。

シリーズオフの6月9日、バージニア州ノーフォーク・コンベンションセンターにおいて坂口、ストロング小林組が敵地に乗り込んでタイガー・ジェット・シン、上田馬之助組に奪われた北米タッグ王座に挑戦。

試合は60分1本勝負でシン、上田の巧みな反則攻撃に激怒した坂口、S小林組が暴走、12分31秒、反則負けを取られまたも日本にベルトは戻っては来ませんでした。
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年06月28日 10:24
     80年代初頭まで、海外での試合中継はワクワクしましたね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年06月28日 11:25
    > mixiユーザー MSGの試合が正月のゴールデンタイムで見られるという贅沢な時代でした。

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