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2017年03月22日19:46

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ジャンボ鶴田怪物伝説(361)

全日本プロレス暮れの看板シリーズ、世界最強タッグ決定リーグ戦の期間中はタイトルマッチは開催しない。

これは77年12月に世界オープン・タッグ選手権を初めて開催して以来、馬場が一貫して崩さなかったプロモーターとしてのポリシーでした。

ドリーとテリーのザ・ファンクスvsアブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク組の抗争が空前の大ヒットとなり、これまで日本のプロレス界に存在した「12月の興行はヒットしない」、「タッグ・シリーズは当たらない」というジンクスを覆して見せました。

新日本プロレスとの首都圏での興行戦争では負けることの多い全日本プロレスですが、この世界最強タッグ決定リーグ戦の蔵前国技館大会に関してはこれまで新日本ブームと言われた81年以外は全日本の圧勝に終わっています。

新日本が80年にMSGタッグ・リーグ戦の開催をぶち上げた時、テリーは「ニュージャパンのタッグリーグ戦はイミテーション」と怒りをあらわにしましたが、最強タッグのブランドはファンには絶大な信頼と信用を得ており、この年の最終戦12月11日の蔵前(ファンクスvs馬場、鶴田組、ブッチャー、キラー・トーア・カマタ組vsシーク、グレート・メフィスト組)は11500人発表(満員)の観客を動員しました。

新日本は優勝決定戦を大阪府立体育会館(12月10日)に持ってきて、東京でのバッティングを避けたのは賢明な判断でした。

新日本プロレスは全日本プロレスに比べるとタッグ・リーグ戦の運営が下手であり、常時タッグを組んでいるチームの参加が少ない上チームのバランスも悪く、途中棄権も当たり前のようにありました。

その割にはアンドレ・ザ・ジャイアント、レネ・グレイ組が優勝した81年の第2回大会を除いて、優勝決定戦のカードも結末も順当な結果が多く、リーグ戦の醍醐味はあまり感じなかったです。

しかし、この年は追加でNWA世界ヘビー級王者のリック・フレアーを終盤に呼んで2月に凱旋帰国して大ブレイクした東洋の神秘ザ・グレート・カブキが最終戦の12月12日、蔵前でフレアーのベルトに挑戦することが発表されました。

この年、長年全日本を支えて来たテリーが引退、新日本プロレスファンがタイガーマスクロスならば全日本プロレスファンにはテリー・ファンクスロスが起きていました。

その影響もあり前人気は今一つ。優勝候補の大本命であるスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ組の超獣コンビに対抗し得るチームが今一つでした。

馬場、ドリー組は馬場45歳、ドリー42歳と全盛期は過ぎており、鶴田、天龍組はまだ天龍がいくらか弱体で、超獣コンビの集中砲火を浴びたら不利は否めませんでした。

他のチームははっきり言って優勝は最初から難しく優勝予想が安易に読めてしまう、そこで馬場はこの年ブームを起こしたカブキをフレアーの挑戦者に起用。総力戦で新日本プロレスとの興行戦争に勝ちに行きました。
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