83年9月30日、後楽園ホールで行われたジャイアント・シリーズ開幕戦(観衆3300人満員発表、テレビ収録)はブルーザー・ブロディ単独エースながらもザ・グレート・カブキ人気もあり上々の入り。
馬場にとってはデビュー23周年記念日となりました。(90年の30周年まで記念イベントはなし)
メインイベントは鶴田、天龍組vsブロディ、ワンマン・ギャング組。
初来日のギャングは巨体に似合わない軽快な動きで天龍をコーナーに振ってのスプラッシュ、フライング・ボディプレスを見せました。
天龍も延髄斬りで突破口を開き鶴田にタッチ、鶴田はギャング、カットに入ったブロディにもジャンピング・ニーパット。
試合は場外戦となり、ブロディがチェーンを持ち出して鶴田の首を絞めにかかりました。その間、ギャングがリングに上がりリングアウト勝ち。
このシリーズはブロディ、ギャング組のインターナショナル・ヘビー級王座への挑戦はなく、シリーズ最終戦の11月3日後楽園ホールではスタン・ハンセンとギャングが組んで挑戦となりました。
セミファイナルは約半年ぶりにカブキが後楽園のリングに登場、サイクロン・ニグロとのシングルマッチ。
このシリーズ、ニグロ、キラー・ブルックス、フィリックス・ロペス等はカブキ要員と言っていいでしょう。
鎖帷子に忍者マスクのカブキはヌンチャクと赤い毒霧のパフォーマンスで観客を沸かせています。
試合はカウンターのトラースキックを喰らったニグロがダウン、カブキはセカンドロープを横歩きしてからの正拳突きから体固めで勝利。
フィニッシュ自体は2月11日の帰国第1戦、同じ後楽園ホールでのジム・デュラン戦と同じでしたが、見慣れて来たせいかそれほど違和感は感じなくなりました。
馬場は阿修羅・原と組んでブルックス、鶴見五郎組と対戦、原が鶴見を片エビ固め。
このシリーズ、10月31日福島・会津体育館で日本で初めてNWA世界ヘビー級王座に挑戦するテッド・デビアスはマイティ井上を足4の字固めで破っています。
10月4日、いわき市総合体育館(観衆3500人発表、テレビ収録)のメインイベントでは、カブキが変身後、初めて馬場とタッグを結成、ブロディ、ブルックス組と対戦しています。
馬場は言うまでもなく61年のアメリカ修行ではジャップギミックの大巨人レスラー、ビッグ・ショーヘイ・ババとして全米を震撼させた「その道」ではカブキの大先輩。
東洋人ヒール(カブキはアメリカではシンガポール出身とされていた、顔に大火傷を負い痕を隠す為にペイントを施した、とされる。おそらくゲーリー・ハートの考えたギミック)として全米を席巻した者同士がタッグを結成しました。
ブロディ、ブルックス組は81年の第9回チャンピオン・カーニバルでも組まれているタッグですが、この1年半後、85年3月9日、両国国技館でのプロレスこけら落とし記念興行で長州(パートナーは谷津)を相手にブロディが不穏試合を仕掛けた時もブルックスがパートナーでした。
ブロディにとっては年長ではありましたが役割をきちんとこなしてブロディを引き立てるベテランのブルックスはいいタッグパートナーだったと思います。
試合はブロディとブルックスが同士討ち、そこをカブキがブルックスにトラースキックを決め、東洋の怪人タッグ?が勝利を飾りました。
セミファイナルは鶴田がギャングとのシングル戦。ギャングが2メートルの巨体を利して鶴田にロープ際でのネックハンギングツリー。
鶴田の身体はエプロンに出ていますのでレフェリーは反則カウントを取りにいきましたが、ギャングは離さずに反則負けとなりました。
ギャングはシングルになるとまだまだ試合運びが粗削りでキャリアの浅さを露呈してしまっています。
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