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2016年11月23日21:57

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猪木とビンス(405)

WWF世界ヘビー級王者ハルク・ホーガンはビンスの全米制圧の野望に向けてハードなスケジュールをこなしています。

84年のブラディ・ファイト・シリーズに参加が発表されながらもキャンセル、しかし、ビンスのお供で新日本プロレスとの契約の為に来日したのが9月6日、その4日前の9月2日、メキシコに登場、UWAの総本山エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノスでUWA世界ヘビー級王者であるカネックの挑戦を受けています。

試合は時間無制限3本勝負で行われ、1本目は10分15秒にホーガンがアックスボンバーから体固め。2本目はエキサイトしたホーガンが椅子を持ち出して5分33秒にカネックの反則勝ち。メキシコではカンペオナード(タイトルマッチ)は些細な反則でも即反則負けを取られます。

3本目は4分54秒、両者反則となり1-1の引き分けでホーガンが王座防衛に成功しました。

ちなみに9月23日にはスタン・ハンセンがトレオのリングに登場、ブラソ・デ・オロとタッグを組んでドスカラス、エンリケ・ベラ組と対戦。

1本目はハンセンがベラを体固め、2本目はドスカラスがオロを体固め、3本目は両チームリングアウトとなっています。

ホーガンはこの後猪木との対戦要望を新日本プロレスから打診されていた9月20日にはニューヨーク・MSGでビッグ・ジョン・スタッドを相手に防衛戦を行うもリングアウト負けを喫しましたがルールによりタイトル移動はなし。

両者の再戦は10月22日のMSG定期戦で行われ、ホーガンが6分40秒、アックスボンバーでスタッドを破り王座防衛。おそらく日本のファンが見たら非常に単調で大味な試合かと思われます。

また、この日はデビット・サンマルチノがMSGのリングに出場、父ブルーノがセコンドに付きました。

デビットはムーンドッグ・スパイクと対戦、17分50秒に首固めでフォール勝ちしています。

日本で1試合だけやって負傷を理由に帰国した直後に行われている11月26日のMSG定期戦にはさすがに日本に報道されてくる情報でホーガンが試合をしているとはどの媒体も書いておりません。

年内最終定期戦の12月28日には猪木とザ・コブラの出場が決まっています。

7月に新日本プロレスの顧問に就任した元国際プロレス代表の吉原功はかつての部下であり国際プロレス北米支部長を名乗っていた大剛鉄之介を通して翌85年1月にAWAで試合をしていたキングコング・バンディを新日本に招聘することを決めました。

バンディは初めて日本のファンにその存在が認識されたのが82年6月6日、テキサス州ダラスのテキサス・スタジアムで行われたフリッツ・フォン・エリックの引退試合の相手を勤め、この試合がテレビ東京で放送された時でした。

翌83年、馬場、鶴田がテキサスに遠征して来た時は6月17日、ダラスのリユニオン・アリーナで未来日ながら馬場のPWFヘビー級王座に挑み惜敗。

大型で動ける巨漢レスラーで馬場の好みにはピッタリで全日本への来日が期待されましたが、実現せずに84年6月には馬場はフリッツと自分の間にテリー・ファンクを仲介役にしてUWFにブッキングしようとしました。

しかし、予定されていたシリーズが中止されたことで来日は流れ、バンディはダラスからAWAへと転戦。バーン・ガニアと大剛の交渉により新日本が獲得しています。

ちなみにテキサススタジアムを何度もソールドアウトにしているフリッツはNWA、AWA連合軍vsWWFのレスリング・ウォーには最初からNWAに加担する気はなく、「自分達は独自でやっていく」とばかり翌年にはNWAを脱退してしまいます。

そしてもう一組はこの年の10月19日にテレビ東京で放送が開始された「世界のプロレス」で試合が放送され、そのあまりの強さに「呼んで欲しい」と要望が殺到したアニマル&ホークのザ・ロード・ウォリアーズでした。

アニマル(ジョー・ロウリネイテス)とホーク(マイク・ヘクストランド)のウォリアーズは83年にNWAジョージアで結成された新時代的タッグチーム。この時はAWAで活躍していました。

ウォリアーズも新日本と全日本が獲得に向けての熾烈な攻防が為されていましたが、こちらはガニアとジム・クロケットを繋いだ馬場の実績がモノを言ったか、全日本が獲得。翌85年の超目玉商品としての投入が決定しております。
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