闘魂シリーズをようやく終えた感のある新日本プロレスですが、さらなる衝撃的な出来事が待ち受けていました。
84年11月14日、新日本プロレスの第5回MSGタッグ・リーグ戦に参加が発表されていたダイナマイト・キッドとデービーボーイ・スミスが永田町のキャピトル東急ホテルで記者会見を行い、全日本プロレスへの電撃移籍を発表。世界最強タッグ決定リーグ戦への参加を表明しました。
キッド、スミスは6〜8月のサマー・ファイト・シリーズに参加したばかりでした。
この8月にキッド、スミスが主戦場にしているカナダ・カルガリーのスチュ・ハート主宰のスタンビート・レスリングの興行権をビンス・マクマホンが買収し、傘下に収めました。
スチュの興行権売却はキッド達の知らないところで話し合いが持たれており、新日本遠征からカナダに帰国した2人はこれを聞かされて愕然としたと聞きます。
もちろん、契約選手であるキッド、スミス、スチュの息子のブルース、キース、ブレットらのハート兄弟、ジム・ナイドハート達の契約はそのまま引き継がれています。
しかし、WWFのショーでは地元のレスラーは前座で使われ、観客動員はあまりパッとせず。
キッド、スミスはビンスとの個別契約を要求されたものの、自分達の会社に外資系企業が入って来たようなもので、サインを保留にしていたようです。
今回、新日本から全日本へと鞍替えさせるシナリオを描いたのはカルガリーを拠点とする日本人レスラーのミスター・ヒト(安達勝治)でした。
ヒトはブレット・ハートにジャパニーズスタイルのハードヒットレスリングを教えたことで知られており、別名ダンジョンと言われた道場で若手をコーチしていました。
しかし、ビンスがカルガリーのオーナーになったことで事実上の解雇となり職を失う破目に。
ならばとビンスに対して不信感を持っていたキッドとスミスと一緒に行動を起こそうと考えた訳です。
ヒトと全日本というのは、76年11月のスーパー・パワー・シリーズに1シリーズのみ参加した以外は接点がなく、馬場とも仲が良かった訳でもありませんでした。
ヒトには新日本憎しの感情が強く芽生えてきていました。
カルガリーでは新日本プロレスの若手を面倒見ていたヒトは食費や移動の経費400万円を新日本に請求しましたが、新日本からは回答がなく、ようやく100万円を振り込んで来ただけと言います。
新日本とヒトとの間にはおそらく契約書のようなものは存在しなかったと思われますが、ザ・コブラ、ストロング・マシン1号、ヒロ斉藤、高野俊二が同時期にカルガリーに集結していたことを考えるとヒトが請求した金額(食事代、交通費、運転手としての報酬など)はほぼ妥当な数字かと。
新日本はちゃんこ銭をふっかけられたと考え、100万円で済ませようとしましたがこれがヒトの怒りに火を着けました。
ヒトはホラ吹きで悪口好きの印象があり、日本に売り込んで来る外国人選手はしょっぱい選手が多いですが、
スチュに見込まれてダンジョンのコーチを長年やっていたこと、後にヒットマンとして出世を遂げたブレットが絶大な信頼を寄せていたこと、さらに新日本との関係が後に修復されてからは橋本真也、馳浩に親父のように慕われていたことを考えると新日本の対応にも落ち度があったかと思います。
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