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2016年11月12日13:14

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猪木とビンス(395)

84年11月1日、東京体育館では闘魂シリーズ最終戦が行われています。

選手大量離脱後初めての都心のビッグマッチとあって観客の入りが懸念されましたがプロレスファンの「今、俺が助けないと」という矜持が働いたか、9500人(満員)発表でどうにか面目を保ちました。

昭和新日本の本拠地でもある蔵前国技館が老朽化の為取り壊し、翌85年の大相撲初場所から両国新国技館へ移転する期間であり、82年1月28日(猪木vsアブドーラ・ザ・ブッチャー、タイガーマスクvsダイナマイト・キッドのWWFジュニア・ヘビー級選手権試合他)以来2年10か月ぶりの東京体育館開催となりました。

国鉄(JR)千駄ヶ谷駅前にあり立地条件も良く力道山時代から頻繁に使われて来た会場ですが、条令で午後9時以降の使用が禁止されてからは平日開催でも試合開始を午後6時にしなければならない為使用頻度が落ちていきました。

ちなみに世間的にはこの日から紙幣がリニューアルされ、サイズが小さくなりました。1万円札が聖徳太子から福澤諭吉に、5千円札も聖徳太子から新渡戸稲造、千円札は伊藤博文から夏目漱石と変更されています。

メインイベントは猪木vsストロング・マシン2号のシングルマッチ。当初、新日本プロレスからは猪木vsマシンとしか発表されておらず、9月7日、福岡スポーツセンターでの初対決でノーコンテストとなった1号との対戦が濃厚と言われたものの、結局出て来たのは2号でした。

マシン側はセコンドにマシン1号と10月30日、岐阜産業会館大会に現れた新しいマシン(便宜上3号)がマネージャーのワカマツと共に登場。

この3号というのが10月25日までUWFのリングに上がっていたフィル・ラファイヤー(後のダニー・クロファット)と言われています。

ラファイヤーに誰が声をかけて他団体のシリーズ終了後も日本に残留させてマシンマスクを被らせたのかはわかりませんがカルガリーで接点のあった人物かと思います。

プロレス業界は敵対していても裏で繋がっているということは多々あります。

猪木側にもマシンマスクを被った大男がセコンドとして現れました。これは猪木の陽動作戦でしたが、コスチュームを脱ぐとマシン1号にドロップキックを見舞い、自らマスクを脱いで高野俊二であることを明かしました。

試合はマシン2号が鮮やかなノータッチトペを都内大会場で初披露。しかし、ヘビー級の体躯であるマシン2号はノータッチトペの連発で膝を痛めてしまいました。

試合はマシン2号がニードロップ、河津落としと攻めましたが動きは単発で猪木は弓矢固め、アリキック連発、延髄斬りから7分31秒に体固めで勝利。正直、猪木の敵ではなかったです。

セミファイナルは藤波にカウボーイ・ボブ・オートンが挑戦したWWFインターナショナル・ヘビー級選手権試合。

この2年前82年11月4日、蔵前国技館で両者による同タイトル戦が発表されましたが、長州力の反乱でカードが藤波vs長州に変更された経緯がありました。

入場時には派手な演出が施され、オートンはカウボーイに因んで実際の馬に乗って入場。この時に馬が馬糞をしてしまったというハプニングもあったと聞きます。

藤波は唐津や長崎のお祭りのような黄金のハリボテの龍が舞うまさに飛龍をイメージした舞いの中入場。

オートンはアトミックドロップからのバックドロップホールドを見せて先手を奪いました。藤波はオートンの足を捉えて、去って行った長州に見せつけるかのようなサソリ固め。

オートンはギブアップしなかったものの、16分25秒、レフェリーストップにより藤波が5度目の防衛を果たしています。

ザ・コブラはブラック・タイガーとNWA世界ジュニア・ヘビー級王座を賭けての再戦。

Bタイガーは独自のフォームのエルボードロップ、ツームストン・パイルドライバーで試合の主導権を握りましたが、コブラもスピンキック、ミサイルキックで反撃し、最後はバックの取り合いから鮮やかなジャーマン・スープレックスホールド。

13分51秒、コブラが5度目の防衛に成功しました。

マシン軍団を茶番と捉える向きもありますが新日本プロレスはマシン軍に助けられたのも事実で、どうにか大量離脱後初のビッグマッチを乗り切って見せました。
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