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2016年11月03日10:08

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猪木とビンス(389)

新日本プロレスの選手大量離脱は維新軍だけにはとどまりませんでした。

84年9月25日には永源遥、栗栖正伸、新倉史裕、保永昇男、3月に再デビューした仲野信市が新日本プロレス興行(以下、新日本興行)への移籍を発表。

9月27日にはアメリカに生活の拠点を置いていたキラー・カーンが帰国して新日本興行への移籍を表明しています。カーンはブラディ・ファイト・シリーズに参加が予定されていましたがスケジュールの都合でキャンセルしており、早くから大塚直樹社長の引き抜き選手候補と噂が立っていました。

新日本興行の大塚社長はスポンサーでもある竹田勝司会長からの資金援助で新日本プロレスから大量の選手を引き抜いて見せました。馬場と日本テレビも裏で支援していると思います。竹田会長は君津市で家具の会社を経営している実業家でしたが1個人で調達出来る金額ではないと思われます。

また、9月26日付(25日発行)の東スポ1面において藤波にも大塚社長とは別ルートで馬場から全日本への入団を打診されたが藤波は断った、「俺は絶対動かない、新日本を守る」と移籍を否定する記事が掲載されています。

ただ、後々ジャパン・プロレス(新日本興行)に移籍した選手複数の話によると「藤波は行くと言っていた」との証言があります。

これはおそらく、藤波クラスの大物選手ですから、大塚が馬場を介した方が良かろうとの判断で大塚が馬場に依頼。

藤波も一度は心が動き応諾の姿勢を見せたものの、かおり夫人に説得されて思い留まったというコンニャクぶりを発揮したものかと思います。

これで1月からの新日本プロレス退団者をみると、

剛竜馬、ラッシャー木村、山崎一夫、前田日明、グラン浜田、藤原喜明、高田伸彦、木戸修、長州、アニマル浜口、谷津嘉章、小林邦昭、寺西勇、永源、栗栖、新倉、保永、Kカーンと19選手となりフロント、スタッフを入れると総勢36人が新日本プロレスから去ったことになりました。

維新軍の新日本興行移籍が発表された9月21日放送のワールドプロレスリング(20日大阪大会を放送)では長州、谷津組vsロジャー・スミス、トニー・セントクレアー組の試合は放送見送り。

翌週の9月28日放送では正規軍vs維新軍最後の決戦、として18日江南市民体育館での猪木、藤波、木村健吾組vs長州、浜口、谷津組が放送されましたが、

最後の長州が木村健を首固めに丸め込んだフィニッシュシーンは意図的にカットされ猪木のインタビューに画面が切り替わりました。

その際、猪木は精彩を欠いた面持ちながらも「大掃除が出来てスッキリした」と強気なコメント。

これに対しては賛否両論あり、選手大量離脱に遭い同情的に「猪木よくぞ言った」というのもありましたが、「今まで猪木を支えて来た配下の弟子に対してあまりに冷たい」と批判の声もありました。

9月26日に新日本勢は「一致団結」を旗印に箱根で合宿を行い、その時の模様も放送されました。猪木、坂口、藤波らが神妙な表情でコメントする中で、

「木村さん、何か一言」とマイクを向けられたところ木村健は「イナヅマッ!」と一言。木村健のこの一言で明るい気持ちになった新日本ファンは沢山いたことでしょう。

新日本は若手が抜けはしないかと合宿所でもピリピリした雰囲気があり、ある時若手が荒川真(ドン荒川)に風俗に連れられて朝帰りをしたことがありましたが、「若手が帰って来ない」と報告を受けた坂口副社長が慌て合宿所にやって来ました。

翌朝、荒川と一緒に帰って来た若手を見て坂口は「よく帰って来た」とホッと一安心した、というエピソードもあります。
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