mixiユーザー(id:21258650)

2016年06月25日09:57

1410 view

猪木とビンス(315)

84年の新春黄金シリーズが終わると新日本プロレスは、2月12、13日の2日に亘り、初となるフィリピン遠征を行いました。(テレビ朝日の収録はなし)

フィリピンでは元国際プロレスの大磯武がプロレス団体を作っており(インディーズのレベル)大磯が新日本を招聘したものでした。

大磯は本名摺崎武二、44年富山県出身、大相撲立浪部屋から66年東京プロレスでデビュー。東京プロレス崩壊後はラッシャー木村、寺西勇、大剛鉄之介らと共に国際プロレスに移籍。

海外遠征も行いましたが帰国しても華々しい活躍は出来ず、74年に引退してフィリピン人の妻女とフィリピンへ移住し現地でプロレス活動を再開、道場を作って新人の育成をする一方興行も行っていました。

当時の新日本では猪木、R木村、寺西、永源遥、柴田勝久レフェリーとは旧知の関係にありました。

2日間とも会場はケソン市のアラネタ・コロシアムで行われ初日は15000人(満員)の観客を動員しました。

メインは猪木がバッドニュース・アレンとのシングル戦(ケソン市長杯争奪戦)、7日の蔵前国技館に次いでの一騎討ちとなりましたが7分11秒、延髄斬りからの体固めで快勝。

セミファイナルはタケ大磯のリングネームで活躍していた大磯が弟子のMモンテロとタッグを組み、キラー・カーン、アニマル浜口組と対戦。

大磯と浜口という国際の先輩後輩同士という興味深い組み合わせとなりましたがフィリピンではWWFのビデオテープが流通していてヒールとして名前が知られていたカーンが暴走しての反則負けとなりました。

この時の遠征では何故か赤のトランクスを履いて試合に出場していた藤波はアイアン・マイク・シャープに逆さ押さえ込みで勝利。

この日は前田日明と長州のシングルマッチが唐突に組まれています。写真しかなく、長州が僅か5分21秒、リキラリアットからの体固めで完勝しています。

前年83年11月3日、蔵前における正規軍vs維新軍4対4綱引きマッチの内容を勘案するとあまりに淡白な結果となっていますが、前田が新日本本隊でのモチベーションを失っていたのかも知れません。

このあたりは82年4月のドバイ遠征で革命戦士になる前の長州が藤波とシングルで対戦し、あっさりと負けたのを思い起こします。(4月9日アハナサスポーツクラブ、11分42秒体固めで藤波の勝ち)

この他、坂口は木戸修に勝ち、小林邦昭はブラック・タイガーを撃破。フィリピンの現地選手同士の対戦はMマツラオがEボロズニオンスを破っています。

フィリピン遠征の第1試合として組まれたのが藤原喜明と高田伸彦のシングルマッチで藤原が11分、体固めで勝っていますが新日本のレベルの高さを見せた試合でした。後にUWFのセミファイナルで組まれるカードになる訳ですが…。

2日目の13日は10000人を動員、メインは藤波がKカーンの挑戦を受けたWWFインターナショナル・ヘビー級選手権試合。

この日も赤タイツで登場した藤波。試合は場外でカーンがパイルドライバーを仕掛けたところ藤波はリバースでかわし、場外でサソリ固め。

場外カウントが進み13分3秒、両者リングアウトの引き分けで2度目の王座防衛を果たしています。

セミは猪木、前田組vs長州、浜口組。維新軍は合体攻撃で前田に狙いを定めていきます。前田が浜口を逆エビ固めに捕らえると長州がリキラリアットでカット。

試合は8分7秒、猪木が延髄斬りから浜口を体固めで猪木、前田組の勝利。結果的にこの試合が前田の新日本所属としてのラストマッチとなっています。

大磯、マツラオ組と木戸、藤原組は大磯が藤原を体固めでフォールし、フィリピンのエースとしての面目を保ちました。

坂口はシャープと両者リングアウト、小林邦はアレンに負け、高田もブラック・タイガーに負けています。

現地選手同士の対戦はモンテロがボロズニオンスを体固めで破っています。

新日本勢がフィリピン遠征を行っていたのと時をほぼ同じくした2月11日には前年新日本プロレスを「引退」したタイガーマスクこと佐山聡が主宰する格闘技のジム、タイガージムが世田谷区瀬田にオープン、道場開きが行われていますが、この席上、9日の大阪まで新日本のリングに上がっていた山崎一夫がインストラクターとして鏡割りのセレモニーに参加しています。
12 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2016年06月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  

最近の日記