84年1月27日、愛知県体育館大会メインイベントは猪木、藤波組vsWWF世界ヘビー級王者となったハルク・ホーガン、アイアン・マイク・シャープ組。
4日前の23日、ニューヨークMSGでアイアン・シークを破り新王者となったホーガンは緑色の台座にリニューアルされたWWFベルトを持って前日26日に来日。
来日したホーガンはインタビューで「2月10日、ミズーリ州セントルイスのキール・オーデトリアムでマスクド・スーパースターと防衛戦を行う」とコメント。
インターネットの普及した現在であれば事前に知られていた事実かと思いますが32年前の話だけに情報源はスポーツ紙、雑誌に集約されておりこれは驚くべき事件と言えました。
キール・オーデトリアムと言えばNWAの総本山として知られ、長年に亘ってNWA会長を勤めていたサム・マソニックの地盤でした。
マソニックが82年に高齢の為プロモーター稼業から引退してからは運営会社セントルイス・レスリングクラブの株式をボブ・ガイゲルとハーリー・レイスに売却。マソニック時代からブッカーをしていたパット・オコーナーも含めて新体制に入っていました。
しかし、マソニックの子飼いでゼネラル・マネージャー、アナウンサーを勤めていたラリー・マティシックがガイゲルのもとを離れ独立、新団体GSWAを旗揚げ。
マティシックにはテキサス州サンアントニオのプロモーター、ジョー・ブランチャードとマティシックを信用していたブルーザー・ブロディが協力。プロモーターや関係者を信用しないことで知られているブロディでしたが、マティシックのことは友人として信頼を寄せていました。
83年5月26日にはアドリアン・アドニスが新日本でタッグを結成していたカウボーイ・ボブ・オートンを破り初代GSWA世界ヘビー級王者となりました。
ベルトはレイスモデルと言われたNWA世界ヘビー級王座と同一のデザインのものが使われ、立会人にルー・テーズを同席させてガイゲル派に興行戦争を仕掛けました。
GSWAはセントルイスのチェッカードームを本拠地にNWAに対抗しています。
しかしこの分裂騒動は互いにマイナスをもたらしました。ビンスはセントルイスの状況をつぶさに観察、組みやすしと判断し全米制圧の第一歩のターゲットををいきなりNWAの本丸に絞りました。
さて新日本名古屋大会メインはホーガンが外国人サイドからの出場となった為、猪木とホーガンが前年6月2日、蔵前国技館でのIWGP優勝決定戦以来の対戦。
試合はホーガンが猪木から盗んだ弓矢固めやコブラツイストなどのテクニックで猪木を終始圧倒、12分42秒、藤波とシャープが両者フェンスアウトの引き分けとなりました。
2月3日は札幌中島体育センター(テレビ生中継)での雪祭り興行、7000人(超満員)発表と超満員の観客を動員。
この日は藤波のWWFインターナショナル・ヘビー級王座に長州が挑戦するこの年初の名勝負数え唄。
テレビ放送ではパワーホールに合わせて入場して来る長州のところからスタート。
しかし、館内は異様などよめきに包まれ、大騒ぎ状態。アニマル浜口がマイクを持って何やら大声でアジテーションを展開。
一体、何が起こったのか!?入場してきた長州を通路で藤原喜明が襲撃、鉄パイプで長州の頭部を殴打すると長州の額からはおびただしい量の血が流れました。
藤原はこの日第4試合で木戸修と組んで浜口、谷津嘉章組と対戦、13分1秒、浜口に体固めで敗れています。
当時の藤原のポジションからすれば順当な結果でした。カール・ゴッチに関節技の指導を受けていた実力者とは言え、中堅選手の1人に過ぎず、前年9月16日、埼玉県吉川町(吉川市)総合体育館でテレビマッチに抜擢された(木村健吾と組んでディック・マードック、バッドニュース・アレン組に負け)位。
藤原の突然の凶行に7000人の観衆とテレビ視聴者は騒然となりました。
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