82年7月16日、富山市体育館(テレビ収録)では馬場、鶴田組のインターナショナル・タッグ王座にタイガー・ジェット・シン、キラー・トーア・カマタ組が挑戦。
全日本の1本勝負制移行に伴い、66年9月、日本プロレスに同王座が初めて登場して以来、国内で同タイトル戦が1本勝負で行われたのは初の出来事でした。
日本プロレスと全日本を併せても過去に76年2月5日、テキサス州アマリロ・スポーツアリーナ(日本テレビの収録はなし)でのレッド・バスチェン、ロード・アル・ヘイズ組を破った時の1回だけでした。
試合はシン、カマタ組のセコンドに上田馬之助がつき、最初から2対3の様相に。
カマタは140kgの巨体をフワリと空中に浮かせてのほとんどドロップキックと言っていいジャンピング・トーキックを鶴田に見舞っていきました。
しかしやはりカマタが狙われ、馬場、鶴田のツープラトンのカウンターキック、馬場の16文キックと繋ぎ、44歳の馬場がコーナーポスト最上段からアトミック・ボムズアウェー(相手のボディを片足で踏みつけるダイビング・フットスタンプ)を見せる張り切りぶり。
17分40秒、馬場がカマタを体固めに決め14度目の防衛に成功しています。
セミファイナルはこの日から特別参加のハーリー・レイスが天龍とシングルで対戦。
レイスの楽勝かと思いきや、上田が竹刀を持って乱入しノーコンテストとなりました。
上田は、全日本での生き残りを賭けて、ハンセンの方ばかり向いている馬場、打っても響きそうにない鶴田ではなく、熱くなって向かって来そうな天龍に全日本でのターゲットを定めていきます。
二人に共通しているのは不器用さ、打たれ強さ、技の受けっぷりの良さで上田はその辺を感じ取ったのでしょう。
ミル・マスカラス、ドスカラスのマスカラス・ブラザーズは大仁田、マイティ井上組と対戦。マスカラスはテレビ中継では大仁田と初対決。試合はマスカラスが井上を体固め。
7月22日、和歌山県串本町立体育館のテレビ収録のメインでは馬場、鶴田組がレイス、カマタ組と対戦。
シリーズ最終戦の8月1日、後楽園ホールで7月30日、川崎市体育館で行われる鶴田vsマスカラスのUNヘビー級選手権試合後の時点での王者に挑戦が決まっているレイスは現王者鶴田との前哨戦。
試合は場外でゆったりとしたバーディカル・スープレックス(ブレーンバスター)を鶴田に決めたレイスがPWFルールの場外10カウントを巧みに利用してのリングアウト勝ち。
PWFルールは反則でもリングアウトでも勝ちは勝ち。海千山千の曲者レイスがそれを知らない筈もなく鶴田の王座危うしを思わせる試合でした。
ダブルメインイベントとして前週の富山での乱入劇から遺恨が生じた天龍と上田が60分1本勝負でシングル対決。
試合は前週のお返しとばかり天龍がコスチューム姿のままの上田に奇襲攻撃をかけてボディスラムで叩きつけ、上田の竹刀を奪ってメッタ打ち。
序盤から両者大流血という展開となりましたが天龍は上田を珍しい足4の字固めに決めています。
そこへシンが乱入して上田を助けに入り、4の字をかけたままの天龍の首を引っ張ってロープ近くまで移動させてサーベル攻撃。わずか4分59秒、天龍の反則勝ちとなりました。
試合は不透明決着でしたがこのあたりは少し前の全日本にはなかった殺伐とした緊張感のある展開で血を入れ換えたことによる効果でした。
天龍も喧嘩ファイト開眼で新しい魅力が備わった感じがしました。
マスカラス・ブラザーズは石川隆士、ロッキー羽田組と対戦しマスカラスが羽田をダイビング・ボディアタックから体固め。
マスカラス兄弟はこのシリーズはタッグチームとしての主要タイトル挑戦がなく、2年連続開催していたPWF杯争奪タッグ・トーナメントも開催されなかった為、連日中堅どころを相手に連勝を続けています。
チャボ・ゲレロ、ジェリー・オーツ、ウルトラセブン、スティーブ・リーガルに大仁田といった人材がいたので開催しても良さそうでしたが、全日本のリングはハンセン、シンの登場により、1年前ののどかだった光景とは一変し、こうした花相撲的なトーナメントは姿を消した、というのが実際のところかと思います。
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