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2016年04月11日22:53

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ジャンボ鶴田怪物伝説(261)

実現はしなかったものの、この82年上半期には第2回プロレス夢のオールスター戦の開催に向けた動きがありました。

4月22日、港区南青山にあった新日本プロレスの事務所で新間寿営業本部長が記者会見を行い、休眠状態になっていた新日版アジア・ヘビー級とアジア・タッグの両王座を復活させて全日本の同王座と統一戦を行いたいとアピールしました。

新日版アジア・ヘビー級とアジア・タッグ王座は76年2月に猪木が「アジアで誰が一番強いか決めよう」とタイトルの新設をぶち上げ、同時に全日本の馬場、鶴田、国際プロレスのラッシャー木村、マイティ井上にも参加を呼び掛けました。

しかし、当時の新日本と全日本、国際連合の関係からして2団体が参加する訳もありません。初代王座決定リーグ戦は7月から8月にかけて行われることが発表されていましたが、

猪木の動きを見た馬場が日本プロレスが管理していたアジア・ヘビー級とアジア・タッグ王座を復活させ、ヘビー級は最後の保持者であった大木金太郎を王者に認定し3月25日、ソウル市文化体育館にてグレート小鹿を相手に防衛戦を行い大木が2-1で勝利し防衛。

タッグは翌26日同所で小鹿、大熊元司組が呉大均、洪武雄組を2-1で降し新王者となりました。

新日版のアジア王座を決めるアジア・リーグ戦は予定通り7月9日〜8月5日にかけて行われ、ヘビー級は7月29日、大阪府立体育会館でタイガー・ジェット・シンが坂口征二を2-1で破り王座獲得。

タッグは8月4日、仙台・宮城県スポーツセンターで坂口、ストロング小林組がシン、ガマ・シン組に2-1で勝利。新王者になっています。

以来6年が経っていましたが新日版アジア王座は前年6月にシングル、タッグ(パートナーは上田馬之助)王者だったシンが「IWGP参加の為」返上しています。

なぜ今さらアジアか?という疑問が起きますが、新間は馬場が前年の81年4月にNWAのジム・クロケット・ジュニア会長の名前を使って大木からインターナショナル・ヘビー級のベルトを取り上げた見返りに77年10月29日、黒磯市公会堂で馬場が大木とのPWF、アジア両ヘビー級ダブルタイトル戦に勝って4年間、一度も防衛戦を行わず封印されていたアジア・ヘビー級王座を大木に「返却」したことに対してこれはおかしい、とクレームを付け、噛みついたものでした。

もう1つはNWA世界ジュニア・ヘビー級王座とNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座の統一戦を提唱。

元はと言えばインター・ジュニアは新日本が藤波にNWAの冠のついたベルトを巻かせたく設立されたタイトル。

インター・ジュニア王座が何故新日本から全日本に行ったかは何回か書いていますので割愛致しますが、いずれにしても新日本からベルトを持ったまま全日本に移籍してきたチャボ・ゲレロから王座は大仁田厚に移動しています。(この記者会見の時点で大仁田はメキシコでサングレ・チカナに敗れて王座転落)

新日本プロレスはヒロ・マツダを通して世界ジュニア王座を管理していたレロイ・マクガークからベルトを買収しています。

マクガークはかつて自分の下にいたビル・ワットが代表を勤めるMSWAに独立されてマーケットをクローズしており新日本プロレス側からのオファーはむしろ望むところでした。

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