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2016年03月26日13:23

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ジャンボ鶴田怪物伝説(251)

リングに乱入したスタン・ハンセンに対し怒りのドリー・ファンク・ジュニアが立ち向かいましたがスタミナ切れを起こしていたドリーは返り討ちに合ってしまいました。

そこへ馬場、鶴田が救援にやって来て馬場がハンセンに脳天チョップを乱打。

ハンセンは額から流血しました。実はこの時テレビの画面でハンセンがジーンズのポケットから剃刀のようなものを出して自分で自分の額をカットしていたのが見えてしまっています。

流血したハンセンは控室へ逃走。会場で確認出来たのはここまでであり81年12月26日(関東地区)に日本テレビで放送された全日本プロレス中継でバックステージの模様が映し出されその後の衝撃的シーンを見ることが出来ます。

蔵前国技館の支度部屋の通路で額を切られて流血したハンセンはカメラに向かって物凄い形相で何やらまくし立てています。

支度部屋の隅の方ではハンセン乱入を知らされていなかったと思われるザ・シークがこれを見て日本での仕事が減少すると危機感を抱いたか、

アメリカでは子分格にあたるタイガー・ジェット・シンと乱闘を始めてしまう始末。

これはおそらくプロモーターである馬場が知らなかったことと思われ、シークの勝手な行為に激怒した馬場はシークを2度と全日本に呼ぶことはありませんでした。

ちなみにシークがこの次に来日したのが91年11月、FMWにこの時初来日だった甥のサブゥーを連れて世界最強総合格闘技タッグ・リーグ戦に参加した時ですから実に10年もの歳月を経てしまった訳です。

いずれにせよ、肉体凶器的なハンセンが全日本に来たことでシークのようなタイプのヒールは必要性がなくなってくることは間違いないところで、タイガー・ジェット・シンも移籍後僅か半年で存在感は薄くなってしまいました。

代わってカメラは日本側の支度部屋で怒りの馬場の姿をとらえました。

「ふざけんじゃないってんだよ!人ん家に土足で上がりこんで!え、そうでしょう!?来るなら堂々と来てもらいたいもんだ。彼に行っておいてよ。ここのリングで待ってるって!じゃあ、表彰式行って来るから」

今映像を見ると突っ込みどころが満載ですが、当時は馬場の鬼気迫る迫真の演技を見て本当に恐ろしいと感じました。

やはり馬場のアメリカにおけるプロモーターとしての実力は侮れない。私は猪木ファンでしたので完全にやられてしまった、と言う感じでした。

蔵前大会は中学校の時の同級生と見に行ったのですがハンセンが全日本に行ってしまったショックが大き過ぎて、帰りの総武線の電車の中ではお互いに一言も喋りませんでした。

翌日学校に行き、同じクラスのプロレスを一緒に観戦していた仲間にこのことを話すると、重苦しい空気に包まれてしまいました。やはり猪木ファンが圧倒的に多かったので仕方なかったですね。

1人、テキサスブロンコを名乗るテリー信者のTだけは「ハンセンの無法乱入によってファンクスが優勝出来なかったことがショックだった」と語っていました。

インターネットのない35年前の古き良き時代のどこにもある昭和の高校の風景でした。

さてシリーズが終わると全日本プロレスは翌82年新春ジャイアント・シリーズの日程を発表。1月2日後楽園ホールから2月4日、東京体育館までのロングランシリーズ。

例年、全日本の新春シリーズと言えば1月2、3日昼の後楽園連戦からスタートして暮れの最強タッグの余波を受けてか地方の中小会場を中心に周り、3週間程度で閉幕がここ数年のパターンでしたが5週間にわたる強気の日程。

最終戦の東京体育館は1週前の1月28日、同所で新日本プロレスが興行を開催することが発表されており、今度はハンセンを得た全日本がリベンジをする立場となりました。

1月1日付で前年日本テレビから出向してきた松根光雄氏が代表取締役社長に就任。馬場は会長に棚上げされ会社の実権は日本テレビに移りました。

しかし、新日本プロレスとの外国人引き抜き抗争で中継がプライムタイムでないにも関わらず、プロレス中継の老舗の意地と面子から、資金援助をした日本テレビには助けてもらった訳ですからこれはやむを得ないところです。

猪木、タイガーマスク人気で視聴率上昇のテレビ朝日ワールドプロレスリングに追い付け追い越せで全日本の反撃の狼煙が上がりました。

松根氏は社長就任挨拶で「これからは、鶴田、天龍のツートップでいきたい、馬場君にはアメリカでの顔を生かしてプロモーター業に注力してもらいたい。」と発言。

これに対し馬場は露骨に不快感を現しています。

松根体制になってマッチメーカーを任された佐藤昭雄はこれまでほとんど活躍の場がなかったノンキャリアの若手入門組にもチャンスを与えるようになっていきます。

新日本の藤波、タイガーマスクはノンキャリアであり身体は小さいものの努力でスターになりましたが全日本は外部からのキャリア組をスカウトして来るやり方。

判官贔屓の日本人には新日本のスタイルが好まれており、佐藤は若手に対しても大技の使用を解禁、翌年以降少しずつ全日本プロレスの中身は変わっていくことになります。
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