81年12月13日、蔵前国技館における世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦は11500人(満員)発表ながら実数では8日の新日本を下回り空席はありました。
この日は4大公式戦が組まれ、まず天龍源一郎、阿修羅・原組はバロン・フォン・ラシク、キラー・カール・クラップ組と対戦。
新日本のワールド・リーグ戦の常連で公式戦で猪木、坂口に圧倒的に分が良かったクラップはWWFの大物が多数上がるようになった新日本からは不要とされ、80年には国際プロレスに転戦。
よって引き抜きではないですが扱いは最下位ランクで、見せしめの為に全日本に呼ばれたようなものでした。
試合は天龍がクラップを卍固めでギブアップさせるという古くからの新日本ファンには何とも痛烈なフィニッシュとなり、天龍、原組は初白星の2点。ラシク、クラップ組はザ・シーク、マーク・ルーイン組と両リン、グレート小鹿、大熊元司組に勝った以外は全敗の2点で負けは全部クラップが取られました。
この時期、ジョニー・パワーズがお金欲しさに全日本に呼ばれてなくて良かったと思います。
次のハーリー・レイス、ラリー・ヘニング組とシーク、ルーイン組はレイス組の反則勝ち。レイス組は8点。シーク組は4点。
レイス、ヘニング組は元AWA世界タッグ王者コンビ。若手時代のレイスにプロの厳しさを叩き込んだのがヘニングで、NWA世界ヘビー級王者になり出世したレイスがセミリタイア状態のヘニングに恩返しとしてパートナーに指名しました。
45歳とピークは過ぎていましたが腕っぷしの強さは健在で喧嘩ファイトではブルーザー・ブロディとは互角に渡り合っていました。
ちなみに私はラリー、息子のカート、孫のカーティス・アクセルの3人を生で観戦しております。3世レスラーはアメリカに多数いますが、生で試合を見ているのはヘニングだけです。
余談ですがエリック一家はフリッツは現役の時はテレビ観戦のみで93年10月に全日本のレトロ企画に来た時生で初めて見ました。息子のエリック一家は未来日に終わったクリス以外は生で見ていて、ケビンの息子ロスとマーシャルがノアに来た時に見ています。
おじいさんに間に合わなかったのがオートン一家、デビアス一家です。
この他ザ・ロック(祖父ピーター・メイビア、父ロッキー・ジョンソン)、ブレイ・ワイアット(祖父ブラックジャック・マリガン、父マイク・ロトンド)は祖父と父親に血縁関係がないので対象外です。メキシカン入れるとまだあるような気もします。
話を元に戻します。
セミファイナルの馬場、鶴田組vsタイガー・ジェット・シン、上田馬之助組は両チームリングアウトの無得点試合となり馬場、鶴田組は11点となりメインの結果待ち。シン、上田組は10点で脱落。
そして迎えたメインイベント、ドリーとテリーのザ・ファンクスvsブロディ、ジミー・スヌーカ組の公式戦最終試合。
先にファンクスがラッキーコインを投げながら入場、続いてブロディ、スヌーカ組が入場。スヌーカの後ろにはテンガロン・ハットを被った白いシャツ、ジーンズ姿のスタン・ハンセンがセコンドについて一緒に入場。
つい3日前までは新日本プロレスのリングで試合をしていたハンセンが全日本の会場に姿を現したことで館内は大変な騒ぎとなりました。
中には「ハンセン・コール」をはじめているファンもいます。
殺気立つ館内、ハンセンはリング下のブロディ組のコーナーの鉄柱に陣取り、レフェリーのジョー樋口はハンセンに帰るように指示しますが、ハンセンは両手を広げて「俺は何も手を出さない」というジェスチャー。
異変が起きたのは試合開始15分過ぎ、場外乱闘となりブロディがセコンドのハンセンめがけてテリーを振りました。
ハンセンは既に左腕にサポーターを着けて待ち構えており、ブロディに振られて来たテリーにウェスタン・ラリアット一閃!(実際はテリーは両腕でガードしていた)
これでテリーはダウンし場外に敷かれた紙テープの山の上で失神し戦線離脱。
孤軍奮闘となったドリーはブロディ、スヌーカの2人がかりの攻撃に防戦一方となり、必死にフォールを跳ねのけて来ましたが、21分41秒、ブロディのキングコング・ニードロップの前についに力尽き、体固めで敗れました。
これで12点を挙げたブロディ、スヌーカ組が初参加、初優勝。ファンクスは11点。
ブロディ、スヌーカ組が優勝を決めた瞬間、セコンドにいたハンセンがついに全日本のリングに上がり、優勝した2人を祝福。「手を出さない」はずのハンセンはラリアットでテリーを戦闘不能に追い込んだばかりか、リングの上に上がってしまいました。
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