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2016年03月13日17:25

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ジャンボ鶴田怪物伝説(246)

81年8月20日、後楽園ホールでスーパー・アイドル・シリーズが開幕。ミル・マスカラス、ドスカラスのマスカラス・ブラザーズ、リッキー・スティムボート、新日本プロレスから引き抜かれたチャボ・ゲレロがNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級のベルトを持って全日本移籍。

国際プロレスの最終シリーズとなったビッグ・サマー・シリーズに参加していたジプシー・ジョーが終了後も日本に残り、日本での次の職場を全日本プロレスに定めて売込。参戦が決まっています。

チャボは80年の新日本闘魂シリーズに参加。11月3日、蔵前国技館で木村健吾にリングアウト勝ちしNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座を獲得。

帰国後、75年秋以来5年の長きに亘って活躍していたロサンゼルス地区から離れました。

プロモーターであるマイク・ラーベルとのトラブルが噂されましたがロス地区はこの頃から集客が落ちテリトリーが衰退して行ったので、実際はギャラの問題かと思われます。

ラーベルにもはや抑止力はありませんでした。チャボは81年1月の新春黄金シリーズに来日がエントリーされていましたがキャンセルとなりました。

チャボは手切れ金代わりにベルトを持ったままテキサス州ヒューストンのポール・ボーシュ、サンアントニオのジョー・ブランチャードのもとに移籍。この時点でNWAインターナショナル・ジュニアのベルトはチャボの個人所有となっていました。

これが許されたのはおそらくラーベル側にギャラの未払があったからかと推測します。

81年2月27日、ヒューストン・コロシアムで今回一緒にシリーズ参加したジノ・ヘルナンデスに王座を奪われるも3月13日、同所でヘルナンデスを降し王座奪回に成功していました。

チャボはアブドーラ・ザ・ブッチャーの新日本移籍をタテに全日本へNWAインターナショナル・ジュニア王座のベルトを土産に売り込みし、移籍を果たしています。

一方8月21日、大宮スケートセンターで開幕した新日本ブラディ・ファイト・シリーズには2月まで全日本の常連だったディック・マードックが参戦しています。

8月22日、後楽園ホールではマスカラスとリッキーがシングルマッチ60分3本勝負で対戦。1-1から両者リングアウトの引き分けとなりました。

試合後にジョーとヘルナンデスが乱入し、マスカラスとリッキーを襲撃。これに怒ったかマスカラスとリッキーは急遽合体を果たし、ボーナストラックマッチとしてマスカラス、リッキー組vsジョー、ヘルナンデス組が実現。1分48秒、マスカラスがフライング・ボディプレスでヘルナンデスをフォール。

リッキーは母親が日本人でイトウタカコさんという名前でこの時後楽園の観客席に来ていてリッキーにリング上から紹介されています。

8月25日、全日本プロレス事務所で記者会見が行われ10月2日、後楽園ホールで開幕する創立10周年記念ジャイアント・シリーズの参加外国人メンバーが発表されました。

ドリーとテリーのザ・ファンクス、ブルーノ・サンマルチノ、ブルーザー・ブロディ、ジミー・スヌーカ、タイガー・ジェット・シンらに加えて、

NWA世界ヘビー級王者ダスティ・ローデス、ハルク・ホーガン、国際から移籍のアレックス・スミルノフの名前が発表されました。

ローデスは6月21日、ジョージア州アトランタ・オムニセンターでハーリー・レイスを破り第61代NWA世界ヘビー級王者になっていましたから、これは想定内でしたが、ホーガンの全日本移籍にはビックリさせられました。

10月9日、蔵前国技館で創立10周年記念大会が開催されることも併せて発表されています。

8月28日、三条市厚生福祉会館で第2回となるPWF杯争奪タッグ・トーナメントの決勝戦が行われ、マスカラス・ブラザーズがリッキー、チャボ組を2-1で降し2連覇を達成しました。

新日本プロレスとの引き抜き抗争の最中であり日本テレビもプロレス中継の老舗の面子にかけて資金援助をしています。

しかし、当時、暮れの最強タッグの蔵前国技館大会以外は都心の1万人収容規模の大会場で興行が打てず、テレビ中継もプライムタイムを外れて久しい全日本の台所事情は決して楽ではありませんでした。

外国人レスラーの源泉所得税が滞納しているという悪い噂が流されたのもこの頃の話ですし、

日本テレビから元運動部長の松根光雄が役員として出向して来て全日本は日テレの管理下に置かれます。松根氏は翌年1月1日付で全日本の社長に就任します。

マッチメーカーにはアメリカ経験の長い佐藤昭雄が抜擢され、全日本のリングはいい意味で変化していくことになります。

9月4日、大阪府立体育会館で鶴田はジョーとUNヘビー級王座防衛戦を行い2-1で4度目の防衛に成功。

マスカラスは75年にアメリカで旗揚げしたIWA世界ヘビー級王座の防衛戦をチャボと行い2-1で防衛。

団体は75年一杯で活動休止になりましたがベルトはマスカラスが個人で所有していました。日本では国際プロレスの看板タイトルとして同名のベルトが存在していましたので、馬場が配慮してこれまで日本でのタイトル戦を組まなかったものと思われます。

この日、上田馬之助のマネージャーである本田治氏が会場に姿を現し馬場への対戦を表明しています。

上田はシンが全日本に移った後も新日本に残り、ブラディ・ファイト・シリーズの前半戦に特別参加していましたが、新日本への参加は9月3日までであり、4日豊田市体育館からは足骨折の負傷から復帰したアンドレ・ザ・ジャイアントが特別参加しており、新日本との契約切れを待って全日本への移籍を画策したものと思われます。
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