アブドーラ・ザ・ブッチャーの新日本プロレス移籍は梶原一騎とユセフ・トルコが共謀して新日本に売り込みをかけたと言われています。
80年12月11日、蔵前国技館に姿を現した梶原とトルコはブッチャーに対し新日本への移籍を折衝。
梶原と親交のあった千葉真一主宰のジャパンアクションクラブ所属の真田広之主演の東映映画「吼えろ鉄拳」にブッチャーが出演。
その関係で梶原とブッチャーに接点が生まれました。
馬場は「売られた喧嘩は買う。アメリカにいる俺の仲間が協力すると言っている」と報復宣言。
そんな中81年5月22日、川崎市体育館でスーパー・パワー・シリーズが開幕。デトロイトのビッグタイムレスリングを経営不振からクローズさせたザ・シークがフル参戦。
ノースカロライナの黄金カードであるリッキー・スティムボートとジミー・スヌーカのシングルマッチがこのシリーズ6月3日、札幌中島体育センターと6月10日、秋田・横手市平鹿広域体育館の2試合組まれました。
結果は札幌ではスヌーカ、横手ではリッキーが反則勝ちで星を分けましたが今までの全日本にはないアップテンポなプロレスは新しい時代を感じさせています。
また、インターナショナル・ヘビー級のベルトを返上した大木金太郎がこのシリーズ、日本側から特別参加。急所打ち等のヒールファイトは封印し、6月2日、北海道美深町体育館では馬場と73年11月以来のタッグを結成、シーク、カール・フォン・スタイガー組に2-0のストレート勝ちを収めています。
1年半ぶりに全日本復帰を果たした大木でしたが、急に大人しくなってしまい元気がなくなったように感じられました。
やはりインターのベルトを失ったのは本人には不本意だったと思いますが、馬場は大木のインター王座返上に対して、77年10月29日、黒磯市公会堂で大木とのPWFヘビー級王座を賭けたダブル・タイトルマッチに勝利して獲得して以来1度も防衛戦を行うことなく休眠状態にあったアジア・ヘビー級王座を「返還」しています。
大木が韓国でプロレス興行を行うに際しチャンピオンベルトがなければ商売にならないだろうからというのはわからなくはないですが、これだとプロレスのベルトは単なる所有物に過ぎないことがモロバレでした。
馬場からアジア・ヘビー級王座を返してもらった大木は来日前の5月6日、ソウル市文化体育館でかつての愛弟子、タイガー戸口と王座決定戦を行って勝利していますが、当時日本にこの試合が報道されることはなかったです。
結果的に戸口の全日本での最後の仕事が、師匠大木にアジアのベルトを巻かせるというものでした。
このシリーズはアジア・タッグ王座も移動。5月23日、後楽園ホールでグレート小鹿、大熊元司組の極道コンビがケビンとデビットのエリック兄弟に2-1で敗れ王座転落。
シリーズ最終戦、6月11日、後楽園ホールでは石川隆士、佐藤昭雄組がエリック兄弟を2-1で撃破し王座獲得。石川と佐藤は同じ53年生まれの当時28歳で極道コンビよりは10歳以上も若く、新陳代謝が図られました。
最終戦のメインイベントで鶴田はスヌーカとUNヘビー級王座防衛戦を行い2-1で勝ち2度目の防衛に成功。ただ、鶴田とスヌーカでは実際はかなりの体格差がありました。
戸口の退団に伴い、80年の新春ジャイアント・シリーズ終了後3度目のアメリカ修業に出ていた天龍源一郎がこのシリーズ凱旋帰国。全日本のリングが徐々にではありますが変化し始めています。
シリーズ終了後、元子夫人、日本テレビの原章ディレクターを伴い馬場がひっそりと渡航。
カナダのトロントのタイガー・ジェット・シンの自宅に出向き、シンと契約。
続いて、テキサス州ダラスの空港でスタン・ハンセンと合流してハンセンとも契約。
シンは5月2日、ニューヨーク州ロチェスターでのキラー・カーンとの試合で足を骨折し新日本の第4回MSGシリーズに来日出来なくなったアンドレ・ザ・ジャイアントの代打として5月12日、名取市民体育館から参戦。
シンはそこで初めてブッチャーが新日本に移籍して来たことを聞かされ、衝撃と怒りを感じたと言います。
シンはこの当時、試合用タイツに新日本のライオンマークの刺繍を入れており、ヒールサイドながら新日本プロレスは猪木と自分とで大きくしてきた会社だという自負があったと思います。
何よりブッチャーが来れば自分の仕事は半分以下に減ります。それを危惧したシンはいち早く馬場の誘いに応じ全日本への移籍を決意。
6月24日、蔵前国技館における創立10周年記念3大スーパーファイトではハンセンと組んで猪木、ダスティ・ローデス組と対戦が決まっていました。
まず、ローデスがNWA世界ヘビー級王者ハーリー・レイスに6月21日、ジョージア州アトランタで挑戦が決まったとして来日をキャンセル。
レイス戦は21日であり、これまで何度も挑戦している訳ですから、挑戦の為だけにわざわざ高額ギャランティが保証されている新日本への参加を断る必要はなく、
ここでレイスに勝ちNWA世界ヘビー級王者になることが決まったからその後のスケジュールを勘案して来日をキャンセルしたと思われます。
これはまあ納得ではありますが、続いてシンもカナダでのスケジュールの都合を理由に来日をキャンセル。
新日本プロレスのスケジュール最優先のシンがカナダで試合を入れることはどう考えもあり得ず、シンの全日本への移籍はこの時点でファンの間では確定、と言われていました。
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