第9回チャンピオン・カーニバルでの鶴田は馬場、戸口、ジャック・ブリスコと時間切れ引き分け、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ブルーザー・ブロディとは両者リングアウトと可もなく不可もない成績で19点と2位。
この年はインター・チャンピオン・シリーズが休みなく控えていた為か優勝決定戦はなく、最終戦の4月23日、大阪府立体育会館でブロディにフライング・ボディシザーズドロップで国内初の1本勝ちを収めた馬場が最多得点21点で3年ぶり6度目の優勝を果たしました。
復活インターナショナル・ヘビー級王座決定トーナメントはチャンピオン・カーニバル上位7選手にドリーとテリーのザ・ファンクスを加えた9人で争われました。
鶴田は4月26日、後楽園ホールでブッチャーにリングアウト負けを喫し脱落。
4月27日、愛知県体育館での準決勝ではドリーがブッチャーに反則勝ち。ブロディは馬場にキングコング・ニードロップから体固めで勝利。このあたりは微妙に星の貸借が行われた感じです。
4月30日、松戸市運動公園体育館での王座決定戦はドリーvsブロディになりました。
4月28日、岐阜市民センターでは鶴田はブリスコとUNヘビー級王座防衛戦を行い1-1から首固めで勝利し初防衛に成功。ブリスコが足4の字狙いに来たところを首固めというのは76年8月28日、日大講堂での両者による復活UNヘビー級王座決定戦の3本目と同じで新日本での猪木戦でもこれと同じ負け方でした。
ブロディは愛知での馬場戦で足を負傷しこの日の岐阜大会と翌29日の諏訪湖スポーツセンター大会を欠場。
結果30日の松戸までに復帰出来ずに棄権。立会人として来日していたNWA会長のジム・クロケット・ジュニアの裁定により、不戦勝でドリーが第10代王者に認定されています。
松戸大会は新王者ドリーの初防衛戦となり、トーナメントに参加した残り7選手の中から抽選により挑戦者が決められることになりました。
挑戦権を手に入れたのは実弟のテリーで、史上初のアメリカでも実現したことがない(当たり前だが)兄弟対決が行われました。
試合は54分、テリーの回転エビ固めを切り返したドリーがエビ固めで勝ち初防衛に成功していますが、単調でヤマ場のない悪い言い方をすれば退屈な試合だったように感じました。
5月8日、新日本プロレス第4回MSGシリーズ開幕戦が行われた川崎市体育館に全日本のトップヒール外国人だったブッチャーが登場しIWGP参戦をアピール。
前日に行われた京王プラザホテルでのレセプションでブッチャーのメッセージが新間寿営業本部長から発表され、ブッチャーは新日本プロレスへ電撃移籍。
僅か1週間前まで、全日本のリングに上がっていたブッチャーの新日本移籍に馬場は怒り心頭。
IWGPが真の世界一を決める「リアルワールドチャンピオンシップ」である以上、新日本の常連外国人選手だけにとどまっていてはやはり駄目で、「馬場、全日本的な誰か」を入れないといけないと思ったか?
全日本潰しの目的があったのも事実でしょう。
続いて5月17日発行の東スポにおいてタイガー戸口が4月6日付で全日本との契約を解除してフリーになっていたことを発表。新日本への移籍を確実なものにしています。
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