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2016年03月05日17:10

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ジャンボ鶴田怪物伝説(241)

81年新春ジャイアント・シリーズ第2戦の1月3日、後楽園ホールではUNヘビー級王者のアブドーラ・ザ・ブッチャーに序盤戦のみ特別参加のザ・シークが挑戦。(試合は60分1本勝負)両者リングアウトの引き分けでブッチャーは3度目な王座防衛を果たします。

1月13日、島原市体育館でブッチャー、マーク・ルーイン組が馬場、鶴田組のインターナショナル・タッグ王座に挑戦し2-1で王者組が防衛していますが、先日、週プロの流智美氏のコラム「あの日あの時」でこの試合が取り上げられ、

「ババさん、そろそろサヨナラネ」ブッチャーの無気力試合、全日本離脱前の最後のタイトル戦と書かれていましたが、これを読んで流氏は最近月1発行の同社「日本プロレス事件史」の執筆が多忙からか、ネタ切れを感じさせ独自の「意訳」がかなり飛躍というか、こじつけっぽくなっており、昭和プロレスネタも書き尽くしたのかなぁ、と感じます。

直近でも2週続けて同じ71年の日本プロレスネタ(2月24日、秋田大会大木vsアール・メイナードアジア・ヘビー級戦、3月2日日本プロレス蔵前と国際プロレス東京体育興行戦争)を書いており少々お疲れでは?と推測致します。

今シリーズ最大のヤマ場は1月18日、後楽園ホールにおける馬場3000試合連続出場突破記念試合、AWA世界ヘビー級王者バーン・ガニアとのPWFヘビー級王座も賭けたダブルタイトルマッチ。

試合は1本目、ガニアが裸絞めで先制、2本目は馬場が16文キックで取り返し、3本目は場外でガニアが馬場に裸絞めをかけたまま両者リングアウトの引き分けとなっています。

この記念試合を後楽園ホールで行う、というのはもちろん批判的な声もありましたが、この時の全日本の状況では、ガラガラの都内大会場(蔵前は大相撲開催中であり、もしやるなら東京体育館が有力)でやるよりも超満員の後楽園ホールでの開催の方が賢明な選択だったように思います。

記念試合を後楽園で、という手法は馬場の「飾らない人柄」を現すものとしてファンに後々全日本がお客さんが増えるようになってからも好意的に受け入れられました。

90年9月30日のデビュー30周年記念試合、98年1月23日の還暦記念試合も後楽園で開催されています。

シリーズ最終戦1月22日、地元、山梨・韮崎市運動公園体育館で鶴田はブッチャーのUNヘビー級王座に挑戦。1本目は両者リングアウト、2本目は鶴田がダイビング・ボディアタックからの体固めで勝利。3か月ぶりに王座奪回を果たします。

前出の流氏のブッチャー離脱前の最後の全日本タイトル戦は島原のインター・タッグ戦ではなく、このUNヘビー級戦でした。

2月15日、エキサイト・シリーズ後楽園ホール大会でも馬場の3000試合連続出場突破記念試合第2弾としてハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座に馬場が挑戦(PWF王座は賭けられず)。試合は1-1から馬場のコブラツイストに捕らえられたレイスにギブアップかどうかを確認しにレフェリーのジョー樋口が顔を近付けたところ、レイスが樋口にパンチを浴びせて反則負けでタイトルの移動はなし。

このフィニッシュは古くは68年12月6日、日本プロレス蔵前国技館でのジン・キニスキーとのインターナショナル戦、78年1月18日札幌中島スポーツセンターでのレイスとのNWA世界ヘビー級戦で見られたモノと同じでした。

1月からの主役は完全に3000試合連続出場を記録した馬場で、1月3日〜2月28日までの9週間に亘り日本テレビの全日本プロレス中継の枠内で過去の名勝負が放送されました。

67年3月7日蔵前国技館vsブルーノ・サンマルチノ、8月14日大阪球場vsキニスキー、68年1月3日蔵前vsクラッシャー・リソワスキー、2月28日東京体育館vsディック・ザ・ブルーザー

6月27日蔵前vsボボ・ブラジル、69年3月5日東体vsザ・デストロイヤー、12月3日東体vsドリー・ファンク・ジュニア、70年3月3日愛知県体育館vsフリッツ・フォン・エリック

74年12月2日、鹿児島県立体育館vsジャック・ブリスコ、75年10月30日蔵前vs大木金太郎、79年2月10日シカゴvsブッチャー10月31日愛知vsレイス等々貴重な映像が放送されています。

シリーズ最終戦3月3日、千葉公園体育館で馬場はキラー・カール・コックスとPWFヘビー級王座防衛戦を行い2-1で7度目の防衛に成功しています。

コックスはこの時51歳。最後の来日となり、66年5月の日本プロレス初来日から15年間の長きに亘り続いた馬場とのライバル関係に終止符を打ちました。馬場がコックス戦には必ずと言っていいほど出す耳そぎチョップは歴史に残る名場面でした。
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2016年03月05日 18:30
    ブッチャーはある本のインタビューで、馬場さん還暦に外人を通して、復帰を希望していたみたいだそうですよ目でも、何故96年に離脱したんだろう?冷や汗あせあせ(飛び散る汗)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2016年03月06日 00:01
    > mixiユーザー あの当時はポジションも下がり馬場、鶴田と組んで休憩前に悪役商会と対戦するなどベビーフェイス扱いでしたからそれに不満だったからかと思います。ギャラも下がったかも知れないですね。

    東京プロレスへ移籍した時はヒールの試合がやりたかった、と言ってました。石川のタニマチのバイク便の社長がギャラ弾んだかもですね。

mixiユーザー

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