80年世界最強タッグ決定リーグ戦は前回挙げたザ・ファンクス、馬場、鶴田組、アブドーラ・ザ・ブッチャー、キラー・トーア・カマタ組、ザ・シーク、グレート・メフィスト組、リッキー・スティムボート、ディック・スレーター組の他に、ニック・ボックウィンクルはジム・ブランゼルを、ビル・ロビンソンはレス・ソントンをパートナーに参加。
両者とも78年大会よりはパートナーが若干ランクアップしました。ニックは6月のミネソタ州ミネアポリスでの鶴田との防衛戦の後、7月18日イリノイ州シカゴ・インターナショナル・アンフィシアターでバーン・ガニアに敗れAWA世界ヘビー級王座から転落していました。
ガニアは54歳の高齢での王座戴冠で、オーナーレスラーのガニアは「王者のまま引退」というプランに向けて現役最後の花道を飾ることを計画していました。
ブランゼルはガニアの息子であるグレッグ・ガニアとのハイ・フライヤーズでAWA世界タッグ王座に何回も就いているタッグ屋であり、2年前のニックのパートナーであったブラックジャック・ランザより動けました。
ロビンソンのパートナーはNWA世界ジュニア・ヘビー級王者のソントン。
同王座は2月にオクラホマでロン・スターが王座決定トーナメント決勝でソントンを破り王者となりましたが素行不良を理由にベルトは剥奪され、ソントンが後釜の王者になっていました。やはり2年前の年齢的に衰えが目立ったワイルド・アンガスより動きは上だったと思います。
11月28日、後楽園ホールでの開幕戦ではリッキー、スレーターのコンビがブッチャー、カマタ組と対戦。ブッチャーがリッキーに反則勝ちとなりました。ファンクスはシーク、メフィスト組にリングアウト勝ち。
12月5日、高知県民体育館でのファンクスvsブッチャー、カマタ組は両者反則の無得点試合となりました。
12月11日、蔵前国技館での最終戦ではブッチャー、カマタ組とシーク、メフィスト組がセミファイナルで対戦。
ブッチャーの入場の際、全日本プロレスの会場にはおよそ似つかわしくなかった梶原一騎とユセフ・トルコの姿を日本テレビのカメラがしっかりと捉えています。
果たして、梶原とトルコは何の目的で全日本の会場に姿を現したのか…。試合は7分45秒両チームリングアウトの無得点試合となり8点のブッチャー、カマタ組はメインのファンクスvs馬場、鶴田組戦の結果待ち。
メインで行われたファンクスvs馬場、鶴田組は時間切れ寸前の43分50秒、鶴田がテリーにリングアウト勝ちで9点となり、馬場、鶴田組が最多得点を挙げて2年ぶりに優勝しております。
新日本プロレスのMSGタッグ・リーグ戦は猪木、ボブ・バックランド組の帝王コンビが優勝。新日本は優勝決定戦を大阪に持って来た為、がっぷりの興行戦争にはなりませんでした。
両団体のタッグ・リーグ戦はデイリースポーツ編集局より「これがタッグだ!」という写真集が発売され当時2800円とそれなりの値段でしたが売れ行きは好調でした。
しかし、この年の全日本プロレスは東京でのビッグマッチは最強タッグの蔵前大会のみで、スタン・ハンセンの台頭で勢いを増した新日本プロレスは蔵前5回、東京体育館2回、日本武道館1回と年8回都心の1万人希望の大会場でビッグマッチを開催し、観客動員、テレビ視聴率では全日本を完全に凌駕しています。
鶴田個人でもチャンピオン・カーニバル優勝以外は2度のUNヘビー級王座転落がありさしたる話題もなく、東スポプロレス大賞年間ベストバウトは最強タッグ蔵前のファンクスvs馬場、鶴田組が獲得したものの、東スポが両団体のパワーバランスを考慮したに過ぎず、馬場の考えるプロレスとファンのニーズが一致しなくなりつつありました。
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