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2015年11月24日21:30

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新日本プロレス北米選手権考察(41)

年末にMSG遠征を行った為81年の新日本プロレスは少し遅めの1月9日、古河市立体育館から新春黄金シリーズが開幕しました。

このシリーズ初来日を果たしたのが前年夏にロサンゼルスに突如出現した債権取立人ジ・エンフォーサー。

前シリーズに来日したオックス・ベーカーとのタッグでアメリカス・タッグ王座を獲得するなど同地区のトップヒールとして活躍していました。

スキンヘッドに黒のアイパッチ、髭面で鞭を持った古典的なヒールでその前歴が誰か?大いに注目を集めました。

来日前にゴング誌ではスティーブ・ストロング説が有力、と書いてありましたが写真を見て明らかに別人だと思われました。

Sストロングは76年11月に1度だけ全日本に来たスーパースター・ビリー・グラハムのコピーのような選手で筋肉がボディビル系でした。

実際に来日したエンフォーサーは結構な年齢と推測され、筋肉は弛み肌も張りがなく開幕戦では木村健吾と対戦しブレーンクローで何とか勝ったもののこれはシリーズ後半ボロが出そうな予感満載でした。

エンフォーサーの前身は60年代に活躍した未来日のギロチン・ゴードンでした。エンフォーサーは2月9日、秋田市立体育館で坂口のWWF北米ヘビー級王座に挑戦が決定。

坂口、長州組の北米タッグ王座には新日本プロレス初登場のザ・サモアンズ1、2号(アファ・アノアイ&シカ・アノアイ)の挑戦が決定。

サモアンズは77年6月に国際プロレスに初来日。怪異な風貌と底知れないスタミナで大きなインパクトを与えました。

2度目の来日となった78年1月5日には大阪府立体育会館でグレート草津、アニマル浜口を破りIWA世界タッグ王座を獲得。

2号の見せるバックフリップ(ブロックバスター)はサモアン・スープレックスと呼ばれこの技でフォール負けした浜口が後に使用し日本でも多くのレスラーが使う技になりました。

79年3月に3度目の国際来日を果たした後はWWF入りし80年4月12日ペンシルバニア州フィラデルフィアでイワン・プトスキー、ティト・サンタナ組を撃破しWWFタッグ王座を獲得していました。

サモアンズは1月23日、高知県民体育館で北米タッグ王座に挑戦。この試合はノーテレビでした。

1本目は9分40秒に長州が1号をサソリ固め、2本目は3分16秒に1号が長州を体固め。3本目は3分29秒両チームリングアウトとなり1-1の引き分けで坂口、長州組が11度目の防衛。

2月9日秋田での坂口vsエンフォーサーのWWF北米ヘビー級選手権試合はエンフォーサーの不甲斐なさが目立ち5分22秒という北米選手権史上最短時間で坂口が逆エビ固めであっさり勝ち5度目の防衛。

シリーズ最終戦の2月12日、後楽園ホールでは坂口、長州組vsサモアンズの北米タッグ選手権試合の再戦が行われました。

1本目は9分50秒に日本組がリングアウト勝ち。2本目は長州が4分56秒に2号をバックドロップから体固め。2-0のストレート勝ちで12度目の防衛を果たしています。
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