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2015年11月23日10:54

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新日本プロレス北米選手権考察(40)

80年は新日本プロレスが前年の躍進ぶりをさらに一層充実させた1年でした。

前年、モハメド・アリ戦で7億円とも9億円とも言われた負債を完済し資金が潤沢になった新日本はWWFとの業務提携をさらに密にし、これまで全日本プロレスと比べて見劣りしていた外国人メンバーも充実の一途を辿りました。

中でも、スタン・ハンセンの活躍は凄まじく、凶器を使わず自らの肉体のみを武器に全力で突進するセオリー無視のブルファイトは新日本ファンのハートを掴んでいます。

猪木のNWFヘビー級王座は2月8日東京体育館でハンセンにリングアウト負けし王座転落も4月3日蔵前国技館でこれを奪回。

5月9日福岡スポーツセンターでハンセンのリターンマッチを反則勝ちで退けるとラリー・シャープ、ハンセン(2回)、ケン・パテラ、11月3日、蔵前国技館でハルク・ホーガン、ボビー・ダンカンと7回防衛。

藤波のWWFジュニア・ヘビー級王座は2月5日愛知県体育館で国際プロレスから移籍のダイナマイト・キッド、4月2日大阪府立体育会館で剛竜馬、阿修羅・原、4月13日メキシコシティ・エル・トレオではフィッシュマンを破り、5月9日福岡ではチャボ・ゲレロをジャーマンで撃破。

7月に右手薬指骨折によりNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座は返上しましたが17日蔵前国技館でのキース・ハートとのWWFジュニア防衛戦は強行し首固めで勝利。

トム・プリチャード、チャボ、トニー・ロコ、ロン・スター、Sカーン、ドン・ダイヤモンドを降して18回の防衛に成功。

WWFとの親密化を強調するように4月16日、NWA圏のフロリダ州マイアミビーチで猪木がボブ・バックランドのWWFヘビー級王座に挑戦、21分24秒オーバー・ザ・トップロープによる反則負けでベルトは奪えず。

第3回MSGシリーズではバックランドにダスティ・ローデス(5月27日大阪府立体育会館)、ハンセン(6月4日愛知県体育館)が挑戦。外国人同士によるWWFヘビー級選手権が組まれました。(試合は両方ともバックランドの反則勝ち)

全日本プロレスはこの時期、年末の世界最強タッグ決定リーグ戦以外は都内の1万人収容規模の大会場での興行が打てておらず、テレビ中継も前年4月からゴールデンを外れていました。

NWAはボブ・ガイゲルが会長を勤めていましたがジム・バーネットがタイトル管理しており、新日本はこの年エディ・グラハムに接近したものの相変わらずNWA世界ヘビー級王者の派遣は全日本プロレスだけ。

全日本に負けない外国人メンバーが揃った新日本プロレスが「ならば、自分達で新しい権威を作ってしまえ」との考えでこのタイミングでIWGP構想をぶち上げたのは至極自然な流れでした。

猪木にとっては実力日本一、格闘技世界一に次ぐ3番目のライフワークとなった訳ですが、IWGPがリアルワールドチャンピオンを決めるものという主旨からして、どうしても「馬場、全日本プロレス的なもの」を取り込む必要があった訳です。

そこをスルーして真の世界一は名乗れない。

それが翌年5月のアブドーラ・ザ・ブッチャー引き抜きに端を発する引き抜き抗争に発展しますが本作品では北米選手権が主題なので割愛します。

別連載「猪木とビンス」、「ジャンボ鶴田怪物伝説」のバックナンバーをご一読頂けると幸甚です。
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